マスコミの悪癖

中日新聞『社説:連続殺傷 多すぎる謎と不明点』

(前略)

伝えられる供述からは不可解な点が多すぎる。まず、動機だ。容疑者は「昔、保健所にペットを殺され、腹が立った」と話しているという。個人的な恨みを述べているようだが、連続殺傷事件の動機としては、とても信じがたい。

中野区の事件では犯人は室内に侵入し、元次官を捜している。そんな恨みの矛先がこの元次官二人にあったとしたら理解に苦しむ。元次官の妻二人を執拗(しつよう)に刺した強い殺意もこの動機からなのか。

単独犯かどうか、現場で目撃された車と男が借りていた車の関係など、解明すべきことは多い。

事件が男の供述どおりだったとしたら、犯行は政治信条からのテロというより、見境ない暴力の爆発だ。今年、東京・秋葉原や茨城・土浦で起きた無差別殺傷事件と類似点があるようにもみえる。

見知らぬ他人を傷つけることをためらわない事件が増え、インターネット上では犯人を支持したり、被害者を中傷する書き込みが飛び交う。暴力を容認する風潮が広がっている。

就職難や賃金格差といった問題とも無関係ではないかもしれない。閉塞(へいそく)した社会を改善していかなければ、不気味な凶悪事件は根絶できないのではないか*1

東京都中野区と埼玉県さいたま市において発生した、元厚生省事務次官ら連続殺傷事件について、その容疑者の出頭(11月22日)以前から、マスコミはそれが政治的意図を伴う犯行ではないか――つまり、年金テロではないか――と疑っていた。そして、警察の取り調べにおいて容疑者が「30年前に保健所に殺されたペットの敵討ちのため」と事件の動機を明々白々に証言し、あまつさえ出頭以前にマスコミ各社に送りつけたメールにさえ「年金テロではない」と書いている現状にもかかわらず、マスコミはどうしてもその動機を政治的なものや、社会的なものに求めたがっている――そうした努力は全く無駄であることも気づかずに。

ちょうど1年前に香川県で発生した、幼児2人とその祖母の殺人事件では、バカタレントがあたかも幼児2人の父親が犯人であるかのような発言をブログ上でしてしまい、1年間の活動休止をせざるをえなくなってしまった*2――現在彼女の動向が見えないので、まあ干されてしまったのだろう。そして今回も、1年前と同じ世人の、とりわけマスコミの悪癖が見え隠れする。

宮崎勤宅間守しかり、そしてこの容疑者・小泉毅しかり、世の中には基地の外に行っちまって二度と戻ってこない人が確実にいる。そしてそうした基地外にいる人々は、“まっとうな”“一般的な”常識を持った、いわば基地内にいる人々――例えばマスコミのあらゆる報道関係者――には絶対に理解できない。外部者には彼らなりの論理があり、それは内側の人間が自分たちの論理でもって理解しようとするほうが無駄な話だ。そういう無駄話を延々繰り広げて、しかし結論は「連続殺傷事件の動機としては、とても信じがたい」、だから彼らは、ホントウのところを探し出すのが我々の使命だ、と確信しているのだとしたら、まことに馬鹿馬鹿しい。

マスコミの諸君には、もっとほかにやるべきことがあるだろうと声を大にして言いたい。まず、タモガミ前航空幕僚長の極ウ論文問題はどうなったか。経済金融対策に関するアホウ内閣、もとい麻生内閣の対策の遅れはどうなったか。

一般常識を疑うことを旨としているフシがある哲学(研究)者もまた、大概は基地の外にいるものだが――勘違いされては困るが、彼らは自ら外部に身を置こうとしているのだ――、哲学研究者の端くれである私も、今回の事件に関する報道の通り一遍さには辟易している。哲学(研究)者は、外部の論理をそれ自体として理解する。つまり内部の論理では解明できないだけにすぎないものとして受容する。だから「30年前に保健所に殺されたペットの敵討ちのため」が殺傷の動機だと彼が言うのならば、これ以上な明晰なものはない理由だとして納得できる。だから、容疑者が出頭して犯人がわかった、その動機もわかった、もうこれで十分なのだ。そんなことより、私はタモガミやアホウがケチョンケチョンに罵倒される様が見たい。