フィンランド/スウェーデンの伝説的バンドOZが20年ぶり再結成
今回の論稿は単なるメタル談議ではなく、メタルを通した比較文化論を行っている……つもりである。
フィンランドで結成され、1982年にデビューし、1991年のアルバムを最後に解散した「伝説的」ヘヴィメタルバンド、OZが昨年2010年再結成を果たし、復活後第1作アルバムBurning Leatherを今年2011年11月16日に発表した。再結成のラインナップには、バンド創立メンバーのエイプ・デ・マルティーニ(Ape De Martini)(Vo.)とマーク・ラフネック(Mark Ruffneck)(Ds.)に、ジェイ・C・ブレイド(Jay C. Blade)(B. & Backing Vo.)という黄金期の3人が含まれている。
わたしはOZというバンドがかつて存在し、そして20年ぶりに再結成したことを今回初めて知ったのだが、それは彼らの所属レーベルであるAFMレコーズがサウンドクラウド上にアップロードした楽曲"Turn The Cross Upside Down"を偶然聴いたからであった。この曲はもともと1984年に発表されていたが、今回の再結成に当たって再レコーディングされたものである。最初聴いたときは「こういうオールドスクールなメタルをやっているバンドがまだまだいるんだな」と思い、同バンドの情報を求めてインターネット検索を行ったところ、彼らが20年ぶりに再結成したことに驚かされ、しかもその間上記の3人はメタル業界ではほとんど全く沈黙していたことにまた驚かされた次第である。
今回一応一通り彼らの楽曲を聴いてみたが、黄金期に制作されたセカンドFire In The Brain(1983年)やサードIII Warning(1984年)、そして3曲入りミニアルバムTurn The Cross Upside Down(1984年)は出色の出来栄えを示していると思う。この頃ドイツでは、今やヨーロッパメタルの重鎮として活躍しているHELLOWEENやRAGEもデビューしているが、例えばRAGEの初期作品とOZの楽曲とを比べても、OZが劣っていたとは到底思えない。特に1984年版の"Turn The Cross Upside Down"においては、演奏が巧みでないとかプロダクションがショボいといった点は見受けられるが、冒頭の静的ギターフレーズから動的、爆発的な音像へと流れ込んでいく様は、1982年に現れたJUDAS PRIEST: Screaming For Vengeance収録の"The Hellion"から"Electric Eye"へと移行する展開を彷彿とさせる。ヴォーカルのマルティーニが、ロブ・ハルフォード(Rob Halford)(JUDAS PRIESTのVo.)同様のハイトーンシャウターだから、尚更である。個人的には、マルティーニの声は全盛期のイアン・ギラン(Ian Gillan)(DEEP PURPLEのVo.)の声に似ているように聞こえる。
楽曲の出来がよかったにもかかわらず、彼らが成功できなかったのは、1つには音楽の流行というものがあると思われるが、その点についてはここでの議論の範疇を越えている――彼らの日本での配給元スピリチュアル・ビーストによれば、91年ごろのブームはすでにデスメタルに移っていたらしいが、私見によれば、90年代前半にはメタル冬の時代がやって来るので、デスメタルどころの騒ぎではないと思われる。ついでに言えば、1986年のフォースアルバムDecibel Stormリリース後、メインソングライターのブレイドが脱退し、5枚目のRoll The Diceの出来はあまりよくなかったことも、バンド没落の一因であろう。
それよりも彼らにとっての重大なハンデは、フィンランドという地理的条件であろう。彼らは1984年に活動の拠点を当時の所属レーベルがあった隣国スウェーデンに移したが、北欧という依然として不利な地理的条件は大して改善されていない。同じことはやはりフィンランドから1981年にデビューしたグラムロックバンドHANOI ROCKSについても言える。ある雑誌か何かでHANOI ROCKSがアメリカかイギリス出身だったら、もっと成功していたし、もっと長続きしていたであろうという旨を読んだことがあるが、OZにかんしても彼らがイギリスか、せめてドイツ出身だったら20年も沈黙せざるを得ないような憂き目には合っていなかったであろう。
まだ完全に(あるいは全く)グローバル化していなかった1980年代前半のメタル業界にはおいて「フィンランド性」なるもの、地域を広く取って「北欧性」なるものが不利に働いていたことを何よりも示すのは、彼らのステージネーム(芸名)である。「デ・マルティーニ」や「ラフネック」、「ブレイド」といった名前は、いかにも西欧風である。彼らはそれぞれ本名を、タパニ・ハマライネン(Tapani Hämäläinen)、ペッカ・マルク(Pekka Mark)、ユッカ・ホミ(Jukka Homi)というが、こうしたフィンランド的な名前ではメタルの世界市場で売り出しにくかったからこそ、西欧的なステージネームが必要だったのではないか――ラフネックという名前を見たとき、わたしは彼をドイツ人だと思った。
同様にHANOI ROCKSにおいても、その中心人物であるマイケル・モンロー(Michael Monroe)(Vo.)やアンディ・マッコイ(Andy McCoy)(G.)を含む黄金期のメンバーは全員西欧風の芸名を持っている。また、メタル圏を越えてハードロック業界まで拡大して見たとき、北欧勢で最初に世界市場でビッグヒットを飛ばしたのはスウェーデン出身、1983年デビューのEUROPAらしいが、同バンドにおいては全員ではないがヴォーカリストのジョーイ・テンペスト(Joey Tempest)は芸名を用いている。ついでに言えば、アメリカのBON JOVIのヴォーカリスト、ジョン・ボン・ジョヴィ(John Bon Jovi)は本名をジョン・フランシス・ボンジォヴィ(John Francis Bongiovi Jr.)といい、英語圏の人々には発音しにくいイタリア系の姓を持っているので、芸名を使っているという。
フィンランド的というアイデンティティを保ったままメタル市場で一定の地位に達しえた最初のバンドは、私見によれば、1987年デビューのSTRATOVARIUSであろうと思われるが、彼らの成功はメタル業界のグローバル化とは切り離せない関係にある。つまりメタル業界は、「英語で唄い、英語で仕事をすることができさえすればOK」という英語帝国主義をバンドに押し付けるかわりに、それ以外の面ではバンドにエスニカルな要素を維持することを許容したのである。もっとも、STRATOVARIUSにかんして言えば、非常によいタイミングで初代のフィンランド人ドラマーとキーボーディストを解雇し、後任に凄腕のドイツ人ドラマーとスウェーデン人キーボーディストを加入させたことで、グローバルなメタルの世界市場で成り上がることができたし、そのあとになって、長く在籍していたフィンランド人のベーシストとギタリストが相次いで脱退したときには、わざわざフィンランドから若い人材を探し当てることでフィンランド的アイデンティティを維持、あるいはそれどころか、強化しえたというバランス感覚を持っていたのである。現在同バンドは、英語で唄っているにもかかわらず、フィンランドを代表するナショナルバンドである。
ヘヴィメタルにおいては、音楽的側面にかんして非音楽的側面にかんしても、地域性は決して軽視されるべからざる要素となってきている。OZに見られたような(英語圏、とりわけアングロサクソン諸国から見た)エキゾチックな名前の問題は近年はあまり重視されなくなってきているが、北欧出身のバンドはしばしばキリスト教伝来以前に土着していたヴァイキング伝説や北欧神話をデーマとして採用し、そういう意味でも反キリスト教的、あるいはペイガニスティックな態度をとっている。それゆえ、アングロサクソン人が持ち込んだ宗教にたいして、アングロサクソン人の言語(つまり英語)で反抗するのは極めて奇妙な光景である。
もちろん「80年代メタル」というアイデンティティを持っているOZが今更北欧性だのフィンランド性だのを押し出す必要は全くないであろう。けれども当時はあれだけ障壁となったフィンランドという地理的条件は、今では有利ではなくとも少なくとも不利に働くことはないであろうと思われる。ただ、わたし自身は彼らの曲を非常に気に入ってはいるが、この現代において、ほとんど忘れ去られて知名度も全くない元メンバーたちが昔の名前で出てきたところで、日の目を見られるかどうかは極めて疑わしい。しかし幸運にしてヨーロッパだけではなく、日本での配給元も獲得でき、メタルの大票田である日本でも知られる機会が増えたわけだから、ライヴやメタルフェスティバルに出演しまくって、知名度を着実に上げれば活路を見出せるであろう。そう考えると、先月のラウドパーク11に何とかリリースを間に合わせて、早い時間でもよかったからステージに立てれば、展開はまた違ったものになったであろうと思うのだが。
- 参考
- ホームページ移転のお知らせ - Yahoo!ジオシティーズ
- http://www.h2.dion.ne.jp/~krok80s/main%20o/oz.htm
- http://thirdwarning.com/
- オフィシャルサイトでもバンドのバイオグラフィなどを執筆している非公式ファンサイト。サイト自体は2007年から存在するようだが、2010年2月にドラマーのラフネック自身から再結成を知らせるEメールを受け取っていることから、バンドの再結成にたいして多少の影響力を発揮したのかもしれない。
- Oz (yhtye) – Wikipedia