『人間の条件』読書ノート(1)

ハンナ・アーレント(1906-1975)は、比較的若い頃までは、自らの著作をまず英語で書いたのちに、それを母語であるドイツ語に“翻訳”した――が単なる逐語訳というよりは、ドイツ語版ではだいぶ補足を加えている場合が多く、その最たる例が『全体主義の起原』である。

『人間の条件』も著者自身による英独版両方が存在する著作である。「ゲルマニストとして自信と誇りがあるんやったら、ドイツ語で読まなあかん」と指導教員から挑発されたが、私は出身大学の大学院ドイツ文学専修に上がらなかった(上げてもらえなかった)ときから、ドイツ文学者であることは辞めたつもりだったけれども、ドイツ語版のほうが補足も多く、『全体主義の起原』や『イェルサレムアイヒマン』の訳者である大久保和郎によれば「ドイツ語版のほうが文章もはるかに精緻になり、論旨の展開もはるかに行届いている*1」というので、私はドイツ語を、英語版と邦訳版を傍らに置きながら、ペラリペラリと読むことにした――別に指導教員の挑発に乗ったわけではない!

そうして読んでいくと、ドイツ語版と英語版で真っ向から矛盾する箇所を見つけてしまった(特記ない限り、引用文中の強調は引用者によるものであり、翻訳は全て拙訳である)。

Der Begriff Vita activa ist beladen und 醇・erladen mit traditionellen Vorstellungen. Er ist genau so alt, jedoch nicht 醇Blter als unsere Tradition politischen Denkens selbst, und weit entfernt davon, alle politischen Erfahrungen der abendl醇Bndischen Menschheit zu begreifen, verdankt er seinen Ursprung einer spezifischen geschichtlichen Konstellation, der sie niemals wirklich entwachsen ist...*2

活動的生活Vita activaという概念は、伝統的な諸イメージを背負いに背負わされすぎている。この概念は、政治的思考という私たちの伝統それ自体と同じくらい古く(しかし、私たちの伝統より古いわけではない)、西洋人全体のあらゆる政治的経験を全く把握せず、この概念はその起源をある特殊な歴史的状況に負っていたが、私たちの伝統は、成長してこのある特殊な歴史的状況の手を実際に離れることは決してなかった

The term vita activa is loaded and overloaded with tradition. It is as old as (but not older than) our tradition of political thought. And this tradition, far from comprehending and conceptualizing all the political experiences of Western man kind, grew out of a specific historical constellation...*3

活動的生活vita activaという用語は、伝統を背負いに背負わされすぎている。この用語は政治的思考という私たちの伝統と同じくらい古い(しかし、私たちの伝統より古いわけではない)。 そしてこの伝統は、西洋人全体のあらゆる政治的経験を把握し、概念化するどころか、ある特殊な歴史的状況から成長した。

ちなみに、英語版を底本としている清水速雄訳だと、こうなっている。

〈活動的生活〉vita activaという用語は伝統を背負っており、背負いすぎている。この言葉は西洋の政治思想の伝統以上に古いとはいえないまでも、それと同じくらい古い。しかし、この伝統は西洋人の政治的経験をすべて包含し概念化しているとはいいがたく、むしろ特殊な歴史的布置から成長してきたものである。*4

*1:ハンナ・アーレント(大久保和郎・訳)『イェルサレムアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』みすず書房、1969年、における訳者の「解説」p.237より。

*2:Arendt, Hannah: Vita activa oder Vom t醇Btigen Leben. M醇・chen: Piper Verlag, 2002 (Original 1960), p.22.

*3:Arendt, Hannah: The Human Condition. 2nd ed. Chicago: The University of Chicaga Press, 1998 (Original 1958), p.12.

*4:アレント、ハンナ(志水速雄・訳)『人間の条件』筑摩書店(ちくま学芸文庫)、1994(1973)年、p.25。