Mein Leben auf Deutsch(私のドイツ語生活)

英語とは異なり、ドイツ語でLiteratur(リテラトゥーア)と言った場合、意味するのは広義の「文献文学」であり、トーマス・マン、ハインリヒ・ベル、ギュンター・グラスなどのフィクションを含む狭義の「文芸文学」はschoene Literatur(ショーネ・リテラトゥーア、直訳すれば「美しい文学 beautiful literature」)である。前者には文芸文学のみならず、哲学、歴史学など、およそ読書をすることが主要な研究方法であれば、それに含まれる。

わがユダヤ・ドイツ・ポーランド―マルセル・ライヒ=ラニツキ自伝

わがユダヤ・ドイツ・ポーランド―マルセル・ライヒ=ラニツキ自伝

マルセル・ライヒラニツキ(Marcel Reich-Ranicki)の自伝『わがユダヤ・ドイツ・ポーランド*1、本書は欠くべからざる時代のアルヒーフ(archiv, アーカイヴ)である。私が「ドイツ文学」、すなわちナチス全体主義を研究していることも大いに影響しているが、それを差し引いても、本書は私が数年来読んだ本の中で最も面白かったものの一冊である。

ラニツキ――彼の名前は長ったらしいので、本稿では彼をこう呼ぶ――は、日本では全く知られていないと言っても過言ではない。一部のドイツ文学者が多少知っている程度であろうが、彼はそもそも文芸批評家であるので、彼自身の思想を研究させたくなるような言論活動はしていないことが、日本でのラニツキ受容の低さの最大要因であるだろう。

彼は元々は、ポーランド国籍を持ったユダヤ人の父と、ドイツ国籍を持ったユダヤ人の母の間にポーランドで生まれたポーランドユダヤ人であった(1920年生まれの、現在87歳)。ただし九歳から一八歳の高校(ギムナジウム)卒業まではベルリンで教育を受けている。イギリスにいた姉以外をナチスドイツに殺され、第二次大戦終結ポーランドで迎えるが、1958年に西ドイツに“出国”し、すぐにドイツ国籍を取得する。それから彼は文芸批評家として活躍するわけだが、活躍の場は紙媒体に留まらず、ラジオ、テレビと文学の普及に大いに尽力している。「文学の法王 Literaturpapst」とあだ名される彼のドイツにおける影響力は本当に絶大である。

私が本書を取った理由は、哲学者テオドール・アドルノラニツキがホストを務めたラジオ番組「文学カフェ」に出演した際のユーモラスなエピソードが載っていると知ったからである。本当はちょっとだけ眺めてすぐに図書館に返そうと思ったが、ぱらぱらとページを繰るうちに、全部読んでやろう、これは全部読まねばという気になってしまったのである。

けれども私のラニツキ受容は、これが初めてではなかった。昨夏(2006年)に大学院の試験勉強のために、私たちのドイツ語の教師に読まされたのが最初であり、それは本書の原典であったかと思う(訳書を読んでいて、一度読んだ記憶がある部分もあった)。のち今冬(2006年から07年)の十二月から三月にかけて彼のアルフレート・アンデルシュ(『エフライム』)、アンナ・ゼーガース、ハインリヒ・ベル、トーマス・マン(『トニオ・クレーガー』)に関する批評文を文字通り読み漁った。私の現在のドイツ語能力は、まさしく彼の「お陰を被っている」――この言い回しは、ラニツキが本書で多用しているものである。作家よりもましな文章を書く、というのがラニツキの触れ込みであり、私の先生もそれをもって教材としたわけである。

ドイツ本国における批評家ラニツキの印象は、「酷評ばっかり」――彼の1970年の未邦訳著書Lauter Verrisse(「騒々しい辛辣な批評の」)に西川賢一がつけた邦題でもあるが――しているというものだろうが、彼の別の著書*2の邦訳者、丘沢静也が言う通り、彼には文学に対する並々ならぬ愛がある。愛があるからこそ口やかましくもなるのである。本書の第一部では若かりし彼がベルリンで文学と演劇にのめり込む様子が描かれているが、私としては「文学バカ一代」という邦題こそ本書に相応しいのではないかとすら思えてしまう。

もちろん本書がそんなふざけたタイトルを持ちはしないのは、本書の第二部がワルシャワユダヤ人ゲットーで行われた迫害の凄惨さと、しかしながらそのような状況下でもユダヤ人たちは文学と音楽とを一抹の拠りどころとしていたことを、努めて冷静な筆致で物語っているからである。その功績はヴィクトール・フランクルの『夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録』*3に比類する。

これらの第一部と第二部に比して、第三部以降は著者自身の“交遊録”的な側面が否めず、私のようなナチスドイツの時代精神Zeitgeist)に興味がある人間にとっては、退屈である。それでも戦後は西ドイツの文学と出版業界の最前線に立ってしまったラニツキから語られる、グルッペ47の内部の様子、ラニツキのかつての同僚ヨアヒム・フェストも加担したエルンスト・ノルテ論争の顛末などは、一定の意義が認められるだろう。

自伝が初の邦訳というのも、ドイツ本国においては大批評家と称される人物としてはいささか顛倒した事態である。だが逆に言うと、主としてドイツ文学を取り扱っている批評家の自伝が最初に翻訳されて紹介されたという事実は、彼の批評する側としてではなく、批評される側(文筆家)としての才能を証明しているとも言える。たとえアメリカの専任文芸批評家であっても、自身の自伝が出版されるという機会はなさそうだし、ましてそれが翻訳されて外国に紹介されるという契機はますます少ないだろう。

数多の文学者や文士とは異なり、自分は大衆を相手に書いているということを自覚している彼は是か非かを明確にした評論を行っている。そんな彼の小気味良い文章はドイツ語で読んでこそ味わいがある。彼のドイツ語を読んで、とっくに“ドイツの美しい文学”を捨て去った――というかはなから念頭になかった――私も、一瞬そちらに引きずられかけたことを白状しなければならない。

*1:西川賢一・訳、柏書房、2002年。原題はReich-Renicki, Marcel. Mein Leben. 1999.

*2:『とばりを降ろせ、愛の夜よ――20世紀ドイツ文学 7人のパイオニア岩波書店、2004年。ISBN:4000241303

*3:霜山徳爾・訳、みすず書房、1961年。ISBN:4622006014 現在は池田香代子の訳による新版が流通しているが、私は未見。