独学としての鉄道学

鉄道ひとつばなし 2 (講談社現代新書)

鉄道ひとつばなし 2 (講談社現代新書)

講義のとある参考文献を探しに、御茶ノ水丸善へ行った。

その参考文献は岩波新書だったのだが、岩波新書ばかりが陳列された棚には、なかった。ついでに、その棚の隣にある講談社現代新書の棚に目を移した。

原武史『鉄道ひとつばなし2』を発見した。即座にレジへ持っていった。

おれはあほか!


このブログ上で私はしばしば鉄道について言及することがあるし、鉄道に関する本もよく読んでいる。それゆえ私は「鉄道オタク」と見なされることがあり、そして私もそれを否定はしない。けれども積極的にそれを認めるのも気が引けるのである。

確かに私は鉄道に詳しくなってしまった。しかし私が鉄道に興味を持ち出したのは、大学に進学するために東京に移住してきて以降のことである。それは元々は、生活の用のために身につけたものである。

幾度も言及したことだが、私はJR常磐緩行線の沿線に住んでいる。この常磐緩行線は、チョイとおかしな路線である。上り列車の大概の行き先は「代々木上原」である。どこか。渋谷区にある営団地下鉄(現・東京メトロ)及び小田急本線の駅である。なぜJRの列車がいつの間にか地下鉄の駅に到着するのか。

時々「唐木田」なんていう行先表示幕もある。福島から出てきた田舎者には聞いたことのない“都会”の地名である*1常磐線は上野が終点ではなかったのか。

そう、地方出身の私は、他社路線間の相互乗り入れという制度を知らなかったのである。

どうやら東京では、鉄道に詳しくなければ、行動できないようだ。田舎者の私はこのように思った――かどうかはもはや定かではないが、地方出身者のコンプレックスが働いたのは間違いがない。

これがもし、通学に“通が苦”な西武新宿線の沿線に住んでいたら私はどうなっていただろうか。様々な路線が交差する東京都東部ではなく、山手線の各駅から放射線状に延びていくだけの東京都西部に住んでいたら、私はどうなっていただろうか。

そしてもう一つ、私の“鉄道学”の形成において忘れてはならない重要なファクターがある――大学一年生のときに、友人がいなかった。上京したての私に新天地の知人がいるはずもないのだが、そのことが私を文字通りの孤独にした。

私は滑り込みであの大学に何とか入学することができたという自己認識のもと、ほとんどどの学生もまったくゼロからのスタートであるドイツ語に私は打ち込むことにした(同じことをフランス語で、地方の国立大学において試みようとしているのが私の愚弟である)。私の大学一年時の記憶はといえば、大学の図書館に篭もっていたというものしかない。そしてそのとき私の傍らにあったのが、ドイツ語の辞書と、100円ショップで購入した路線図だった。

いま思い返しても病んでいたとしか考えられないが、私は日課のドイツ語学習の前に、およそ30分もの間その路線図を物言わず眺め続けたのである。私の鉄道学は、私自身の孤独に深く深く根づいていて、しかも今のところ腐り落ちる予定がない。

エーリッヒ・フロムやハンナ・アーレントが現代人の病巣と見なした孤独と、他ならぬ原武史が近現代の人間思想に大きく影響を与えたと主張する鉄道が、ともに私の中で強い関心を惹き起こすのは、幾分自画自賛のような気もするけれど、満更偶然でもないように思われる――もっともそのことに思い至るのは、大学三年生のときに原の名著『「民都」大阪対「帝都」東京――思想としての関西私鉄』*2を読んでからであったが。

四年前と相も変わらず私には友人がなく、同じ路線図がボロボロになりながらも修復され続けて私の手元に未だある。鉄道文学の大家・宮脇俊三も原も、鉄道ファンの集いとしては日本最大の法人である「鉄道友の会」には参加していない(恐らくいずれの集いにも属していないと思われる)。二人がどのように考えているかは知らないが、私は鉄道趣味なんていうものは群れてやるものでもない気がしている――もっとも私は、ヘヴィメタルにせよ何にせよ、私の抱える趣味のほとんど全てを一人で楽しんでいるわけだが。ともあれ、私自身も、孤独志向の研究対象として鉄道学はあるものだと考えている。

*1:唐木田駅は、東京都多摩市にある。

*2:講談社、1998年 ISBN:4062581337