年を経るということ


夜、高校時代の2学年上の先輩から電話をもらった。

私が1年生のときの、3年生の先輩である。何年ぶりの電話なのか、もはや記憶にない――一年に一度くらい、イタ電まがいの着信はあったが。対面は少なくとも4年、私が大学に入学して以降は確実になかった。

通話の内容は、極めて要領よく要約すると、今度会おうという用件であった。

そのとき彼が私に「話し方が変わったな」と言った。私は4年を超える東京生活で、訛りがなくなったからではないかと思った。しかし彼は、私は以前から比較的訛っていなかったと言う。曰く、「敬語が話せるようになった。」

それもそうだ、私はすでに22歳だ。

彼は、私が高校1年生のときの、3年生である。私は彼の卒業後も彼と会うことはあったけれども、基本的には彼は高校1年生の、16歳の私しか知らない。

私にはいま中学3年生、15歳の弟がいるが、彼が知っている私というのは、私の弟と1歳年上の私である。愚弟は、およそ賢そうな15歳とは言えない。彼は、とんだアホガキである私の弟と大差ない私しか知らないのである。

そうして私は、自分もまたとんだアホガキであったことを思い出した。

彼との通話は、私の携帯電話の電池が切れてしまったことにより早々に切り上げざるをえなかった。とりあえず再会の意思疎通は完了したので、そのときを楽しみにしておこう。


ちなみに電話を受け取ったとき、私は秋葉原ドン・キホーテに入るところだった。