M-1グランプリ2010・雑感

26日(日)の夜は友人が住んでいる小金井市で友人たちと食事をしていたので、M-1勝戦は録画しておいたヴィデオで観ようと思っていた。それまでは、うっかり結果を知ってしまうことのないように、携帯電話やパソコンでインターネットにアクセスするのは控えておいた。そうしたらauは親切にもEZニュースフラッシュで結果を送信してくれた。電話の画面に流れるニューステロップ「笑い飯がM1王者」。やべっ、見ちまった! 帰宅した午前0時ちょっと過ぎのことであった。

事前に下馬評まで作成した昨年大会に比べて、今年のM-1にはほとんど関心が湧かなかった。「ボキャブラ天国」が若手芸人たちのテレビ出演の機会を与え始めた96年頃から、「超!よしもと新喜劇」(のち「超コメディ60!」)、「笑う犬」を経て、一時期お笑い番組が下火になった2001〜03年頃には「爆笑オンエアバトル」へと避難しつつも、わたしはほぼ一貫してお笑いファンを自認してきたが、いよいよ飽きてきた。
否、飽きてきたというよりは、ネタ見せ番組の粗造濫造に辟易したのである。今年は3月に「エンタの神様」と「イロモネア」が、8月に「爆笑レッドカーペット」が、9月に「爆笑レッドシアター」が終了した。わたしはこれらの番組をやはり毎週ヴィデオに録画してチェックしていたが、それらの最晩年はいずれも観るのが苦痛だった記憶がある。とりわけ「エンタ」はところどころ早送りで飛ばしながら観ていたので、飛ばしたコマーシャル分も含めて、1時間番組を30分で消化していたものだった。それどころか、「イロモネア」は途中から完全に全く観なくなった。今年の「キングオブコント」は、当日の悪天候のせいで地上デジタル放送の電波が乱れ、録画に失敗したという事情はあったが、結局観ていない。

とはいえ、今年2月に「若手お笑いブームの隘路」という論稿を書いたとき、年末までにレギュラーのネタ見せ番組がゴールデンタイムで全滅し、まさかお笑いブームの牽引役であるM-1までもがその歴史に自ら幕を引くことなろうとは、夢にも思っていなかった。しかし「レッドシアター」と「レッドカーペット」の没落を目の当たりにしたあとの今となっては、よく理解できる。

恐らく2003年くらいから続いていた今回の(若手)お笑いブームは、M-1の終焉を以って確実に退潮を余儀なくされるであろう。それゆえ、最後のM-1笑い飯が獲った、否、笑い飯M-1を獲られざるをえなかったことを知ったとき、何か一つの時代が終わったことを感じさせた。

M-1はスポーツの大会とは決定的に異なる。全10回大会中9回決勝戦に進んでいる者が、一度もタイトルを獲れずにその大会が終了してしまったとしても、芸人としては「無冠の帝王」として座していたほうがオイシかったのは明らかである。M-1獲得は笑い飯にとっての悲願であったことはファンは誰でも知っているからこそ、最後の最後で笑い飯がチャンピオンになってしまい、大会が王冠を与えてしまったことは、単なる美談で終わってしまい、些細な笑いにも繋がらなくなってしまうだろう。むしろ笑い飯はこれまで「無冠の帝王」をウリにしてテレビに出演していた節があるので、ただの「M-1チャンピオン」になってしまった今や、彼らに「無冠の帝王」以上のわかりやすいアピールポイントはあるのだろうか。

笑い飯の「無冠の帝王」について、わたしは前掲の09年大会の講評で、すでに以下のように述べていたことを、手前味噌ながら読者諸賢に注意を促しておきたい(強調は本稿にて)。

それにしても、わたしは笑い飯M-1を獲らなくてよかったと思っているのだ。というのも、8回も連続で決勝に出ているのに1度も獲れていないほうが、芸人としてはオイシイだろう。それに、8回も連続で出ていて、最後の最後に獲ってしまったら、それこそ吉本の力で獲らせてもらえたなどと疑惑が起こったり、少なくとも揶揄されたりすることが予想される。「8回連続決勝進出、しかし無冠」という称号のほうが、そもそもダブルボケという正統派ではない漫才コンビの彼らにふさわしい気がするのだ。

わたしは、他のコンビならいざ知らず、笑い飯にとっては、M-1獲得はメリットよりもデメリットのほうが大きいのではないかと勘繰っている。今回の彼らの優勝に関しては、正直「今更」感がありはしないだろうか。にもかかわらず彼らはM-1を獲ってしまった。これは逆に言えば、もう9回も決勝戦に出ている「レギュラー」の笑い飯しかM-1を獲れる漫才コンビがいなかったということの証左である。敗者復活から現れてきた、07年のサンドウイッチマン、08年のオードリーのような、あるいは今まで一度も決勝戦には進んだことのない無名の若手が、突然ノーマークから現れて栄冠を掻っ攫う(くらいの笑いをとる)ことが、今大会ではもはやできなかったのである。

しかも今大会では、敗者復活から昨年王者のパンクブーブーが決勝戦に上がり、そして最終決戦にまで残ってきたので、さながら昨年の決勝戦の再演である。ということはいま、若手お笑いグループ間における漫才の実力ヒエラルキーをピラミッド型にして描くとき、09年大会から1年経っても、その頂点の3組のうち2組は同じだったということを意味する。これでは、ノーマークのダークホースなど期待しても無駄なわけだ。実力が高いグループは1年経ってもやはり高いままであるとは思うが、ここまでヒエラルキーが固定化されている事実、すなわち、昨年のトップ3を他の若手が追い落とすことができなかった現実を如実に目の当たりにすると、笑い飯M-1を獲らざるをえなかった事情も納得できる。

今年のM-1勝戦の最終決戦が結局昨年大会の再演になってしまったこと、「無冠の帝王」笑い飯が結局チャンピオンにならざるをえなかったこと、この2点こそが、やはり現在の若手お笑い芸人たちの実力や勢いが数年前に比べて確実に下がっていることの証明であろう。

銀シャリ、ナイツ、ハライチ、ピースは確かに面白かったが、それは安定した面白さであり、爆発的な面白さではなかった。彼らを評価する際に何人かの審査員が「面白かったが、新しいものがない」と言っていたことは、傾聴に値する。もっとも、新しいさがなかったのは笑い飯も同じである。笑い飯の「サンタウロス」ネタの設定が昨年の「鳥人」に酷似している。

その中で異彩を放っていたのはスリムクラブで、ファーストステージでの予想外の高評価は、他のグループにはない目新しい「キワモノ加減」が審査員にも観客にもウケたからであろう――が、テレビの前にいる視聴者も同じ雰囲気の中で彼らのネタを観ていたがどうかは、別の問題である。少なくともこのわたしは、ファーストステージでの彼らのネタは、一切面白いとは思わなかったし、クスリともできなかった。このスリムクラブは、「エンタ」で「フランチェン」というどうしようもなくつまらんコントをやっていたコンビとしてわたしは記憶している。

但し、別にスリムクラブを持ち上げるわけではないが、最終決戦でのネタはそこそこ笑えた。だが何よりも注目に値するのは、ネタの中で「しっかりしろよ、民主党」と現政権党を揶揄したことである。わたしは、お笑いファンとしては彼らを評価しないが、政治哲学者としては大いに評価できる。スリムクラブは両名とも沖縄県出身、琉球大学卒業であり、沖縄県人ならではの鋭敏な政治性を窺わせる。ほかの沖縄県出身芸人たちは、同県の豊かな自然や風土、本土方言とは系統的に異なる琉球方言を郷土の特色として強調するが、そればかりが沖縄県の特色ではないことは今や明白である。このたびM-1の大舞台でその片鱗を窺わせた政治性を彼らが今後ますます発展させていくならば、大して面白くもなかったM-1最終幕をヴィデオに撮ってまで観たわたしの苦労も、政治哲学者としては多少は報われることになるだろう――お笑いファンとしては、寂寥の思いだけがひとしおであるのだが。