半蔵門線論、再び

半蔵門線――渋谷から、表参道、永田町、九段下、大手町を経て、水天宮前、清澄白河錦糸町、押上へと至る地下鉄路線である。水天宮前が終点だった時期が長らく続き(1990〜2003年)、半蔵門線の延伸によって押上が終点となるのは、押上が東京スカイツリーの建設によって東京の新名所となる7年前、わたしが東京に移り住む僅か1か月前の2003年3月のことであった。
大学に入学して初めて知り合った友人の一人である「みっちゃん」は、当時、早稲田から東西線、千代田線、東武伊勢崎線を経由して春日部まで向かい、そこから契約駐車場に置いていた自家用車に乗り換え、帰宅していた。片道2時間弱の通学路と彼女が嘆いていたのを、わたしは記憶している。わたしたちは北千住まで一緒に帰宅していたが、大学入学から半年後にはすでに鉄道オタクになりかけていたわたしは、九段下から半蔵門線に乗り換えて、その年の3月に開始されたばかりの東武線への直通運転(至・南栗橋)で春日部まで行けばよいのではないかと、今から考えれば浅はかな提案を、彼女にしたのだった。

わたしの提案を真に受けたや否や、程なくしてみっちゃんから半蔵門線経由の通学定期券を購入した報告を受けた。ところが、「東武線直通の電車の本数が少なくて、結局便利じゃない。」と言われた。

みっちゃんのこの報告に影響されたのかどうか、もはや記憶は定かではないが、わたしは2005年8月に「半蔵門線論」という文章を書いていた。それによれば、直通運転が開始されてからすでに1年半経っていた05年8月の時点でも、半蔵門線から東武線への直通電車は昼間ダイヤで1時間に(恐らく12本中)3本しかなかったという。ちなみに現在(10年6月)は、昼間ダイヤで12本中6本が東武線直通電車という(大手町駅の時刻表より)から、いささか隔世の感を禁じえない。

時は移ろい2010年、5月23日(日)に結婚式を挙げたみっちゃん夫妻――話は前後するが、わたしも参列した彼女の結婚式については、追って報告する予定である――が新居を構えたのは、東京スカイツリー建設に沸いている押上駅付近だった。わたしが6月20日(日)に半ば無理やり初めて押しかけてしまったとき、当地に新居を構えた理由を「みっちゃんの実家に帰省しやすいから?」と夫妻に尋ねると「それもある」との解答を得た。彼女は大学卒業後、就職してからの数年間を、やはり半蔵門線水天宮前駅周辺で生活していた。

わたしがかつて彼女に半蔵門線の利用を勧めたことを、恐らく彼女自身は記憶に留めてはいないだろう。けれども彼女が半蔵門線にこだわっているかのような選択をし――彼女は結婚式の会場すらも半蔵門線沿線のホテルだった――、あまつさえ新生活の拠点をも半蔵門線沿線に定めたことは、わたしにとっては非常に感慨深い。

今回夫妻の新居を初めて訪れたとき、わたしはバスを利用したのだが、帰りは、大学の同級生だったヤマグチさんと一緒に押上駅から電車に乗ることにした。新居から押上駅までの約10分ほどの道を、スカイツリーに見守られながら、夫妻が見送りがてら付き添って案内してくれた。

隣接する業平橋と押上の両駅は、かつてわたしのメルクマールだった。理由は簡単である。両駅は東武電車に乗っても、京成電車に乗っても拙宅の最寄駅まで帰るのに便利だからである。だから05年2月に北千住から何となく東武線沿いに徒歩で南下したときも、浅草までは辿り着かずに押上から京成に乗ってしまったし、05年から07年まで毎夏の恒例行事だった独りで隅田川花火大会見物でも、JR総武緩行線の浅草橋から押上まで歩きながら花火を観たものだった。

前掲「半蔵門線論」において、わたしはかつて半蔵門線の「東側は曳船原文ママ(東京都墨田区)を終点にすべき」で、曳舟−押上の区間も「東京メトロが担当すれば、伊勢崎線への連絡は容易」だったと書いている。しかしながら、この点も10分に1本が東武線直通というダイヤ改正によって改善されている。また「押上駅東武業平橋駅を同一駅として乗り換え可能にすればよい」とも提言していたが、定期券あるいは回数券利用者に限って言えば、両駅を同一駅として利用することが再び可能になった。わたしごときが考えることは、鉄道会社も漏らさず考慮していたのである。

2011年に完成するスカイツリーに合わせて、押上周辺も再開発が進んでいる。私鉄と地下鉄を合わせて4路線という押上は、ターミナル駅としては山手線にあるそれと比べれば見劣りはするが、21世紀に入って作り出されるターミナルとしては限界ギリギリの大きさだろう――もちろん、これから更に発展する可能性がないわけではない。

わたしが東京にやってきてたった7年とちょっとしか経っていないにもかかわらず、わたしの知っている風景がどんどん変わっていく。東京でそのように最も新しい街は、新生活を始める若い夫婦にとってはぴったりかもしれない。他方で、わたしにとって居心地のよかった場末のターミナル駅は、今や過去のものとなりつつあるようだ。