民主党代表選にまつわる覚え書き

先月29日に「社民党は連立を維持せよ」という記事を書いた。29日とは言っても、アップロードしたのが29日未明だっただけなので、筆者たるわたしの感覚としてはまだ、福島氏が大臣職から罷免された28日(金)だったのだが。それから今日までに、社民党が連立を離脱したどころか、総理大臣までもが辞意を表明してしまった。

民主党の執行部によれば、6月4日(金)午前中に同党の後継代表選挙が両院議員総会で行われ、同午後に国会で首班指名選挙が行われる見通しだという。

2日(水)に鳩山氏が総理大臣職の辞意を表明してから、テレビはほとんどそうであったように、今日3日(木)も各メディアや政治評論を自称するブログの書き手たちは様々な事柄に関して様々な憶測を飛ばすことに終始するだろう。けれども、それは結局憶測である。4日までは何も決まらないのだ。

このブログは政治評論の場ではないし、国政の定点観測所でもない。このブログは、インターネットの片隅で、「誰も言いそうにないこと」を述べるように努めている(但しヘヴィメタルの話題は、この限りではない)。「誰もが言いそうなこと」は、この広いインターネットの世界で必ず誰かが言っている。だからわたし如きが言っても意味はないし、にもかかわらずわたし自身の労力を費やすことにも意味がない――「“誰も言いそうにないこと”を述べる」という意図が、単に奇矯なことを言って衆目を引きつけようという安い趣味にすぎないと見なす人は、大なり小なり貴重な時間をとってこのブログをわざわざ読む必要はないので、二度と来ないでほしい。

社民党は連立を維持せよ」という記事がこのブログに掲載された翌30日に、社民党は全国幹事長会議を経て、連立を離脱した。29日未明にその記事を書いていたとき、わたしの頭の中にも「恐らく離脱だろうな」という予想は当然あったし、わたし程度が予想するくらいだから、他のメディアや政治評論ブロガーたちだって当然「離脱」と予想するだろうと思われた。だからこそ「維持せよ」と言ったのだ。無論わたしは今でも社民党は連立を維持すべきだったと考えている。

だから今回の首相の辞意表明に関しては、いくつかの覚え書きを残すだけにする。

民主党新代表=新首相に関して、わたしは菅財務相・副総理を推す。民主党政権なら基本的には誰が首相になっても大差はないが、それでも前原氏・仙谷氏ら新自由主義的傾向のあるグループの誰かに首相の椅子に座られるのも不愉快である。何よりも「堀江メール問題」で不手際を起こしたときの民主党の代表が前原氏であったことを忘れてはならない。何よりも彼は政策的に党内左派と折り合いが悪く、党首としてどう考えても求心力を高められるとは思えない。このような逆風下では、はずれのない人選が望まれるであろう。

鳩山氏の代表辞任に伴って小沢氏の幹事長職辞任も発表されたが、後任は全く読めない。というのも、民主党の「グループ」は自民党の「派閥」ほどかっちりした組織ではないというのと、同党の有名人は大体がすでに入閣しているので、党に残っている人の中で選挙の顔になりそうな人が見当たらないという事情がある――わたしは、新首相が菅氏ならば、大幅な改造もなしに鳩山内閣を引き継ぐと予想している。小沢氏が闇将軍やキングメーカーとして影響力を保持し続けるという憶測がメディアから流され、それにたいして嫌悪感を示す人は党内はおろか有権者にも、政治ブロガーにもいると思われるが、どう考えても小沢氏の2分の1すらの選挙手腕を持った議員は、民主党というか国会議員全てを見回しても、存在しない。それゆえ小沢氏と比べてしまうと、後継の幹事長が読めなくなってしまっている。

ついでに言うと、わたしはある程度までは未だに小沢氏を支持しているが、その理由については長くなるので別の機会に述べるかもしれない。但しだからと言って、「陸山界」に資金規制法違反の疑いがかかっており、彼にたいする嫌疑もいつまでもグレーのままで留まっている状況下で、総理大臣になってほしいとか、はたまたキングメーカーとして存在感を維持してほしいとまでは思っていない。少なくとも今回の代表選と参院選では、鳴りを潜めておくほかないであろう。

さて、こんなところか。