権力(に依存する権力)の館

09年8月30日の衆院選で、民主党は115から309議席へと議席を大きく伸ばした。参院議員と合わせると、417人である。それによって彼らに降って沸いたのは、党本部の建物が極めて手狭になってしまったという問題である。

政権与党となった民主党本部は現在民間ビルに間借りしている。これに対し、自民党本部は自前の建物を所有している――正確に言えば、国有地の上に財団法人「自由民主会館」が所有しているビルに入居しており、国には賃料を支払っている。また連立政権のパートナーの1党である社民党の本部も、国有地の上に財団法人「社会文化会館」が所有する建物に入居し、国には賃料を支払っている。社民党は、前身である日本社会党と同様、「社会文化会館」から建物を借りて本部として使用しているのであろう。なお両党の本部建物が国有地にあるのは、東京オリンピック開催に伴う道路整備により、かつての本部建物が移転対象となったため、代替地として貸し付けられているからだそうだ*1。いずれにせよ、両党の本部建物とも「自前」と言って差し支えはないだろう。

ところで、確認はできなかったが、言うまでもなく共産党本部の建物も土地も、公明党本部の建物も土地も、恐らくは自前のものであろう。つまり、最近数年のうちにできた国民新党新党日本みんなの党といった小政党を除けば、日本の主要5政党のうち、唯一与党である民主党だけが自前の本部ビルを持っていないということになる。

さて、ご存知の通り民主党は、国会議員だけを見てみると、様々な政党に出自を持つ議員たちの「寄り合い所帯」である。わたしの理解では、09年9月の時点で、民主党は大きく言って5つの政治的系譜が合同して成立していると言える*2。つまり、

  1. 自民党離党者による諸政党:新生、さきがけ、自由など分裂は多岐にわたる。自民党離脱の時期は異なるが、小沢一郎鳩山由紀夫岡田克也も結局はこの流れに出自を持つ。
  2. 民社党:いわゆる旧・日本社会党右派。
  3. 日本新党細川護煕の提唱によるものであり、突然変異的に現れた。但し、細川自身は熊本県知事以前の参院議員時代には自民党に属していた。
  4. 社会民主連合菅直人江田五月ら。但し江田の父・三郎はもともと日本社会党に属していた。
  5. 旧・日本社会党からの離党者:社会党はその後現在の社会民主党に引き継がれる。

わたしが気になるのは、これらの諸潮流のうち、どれか1つでも自前のビルを持っていなかったのかということだ。とりわけ民社党は1960年から1994年まで存続していたのだから、自前でビルくらい持っていてもよさそうなものだ……が、一貫して小政党のままで甘んじなければならなかったから、難しかったのかもしれない*3

民主党以外の4党のうち、未だに201人の国会議員を抱えている自民党はともかく、社民、共産、公明は小政党ではなくとも中政党であることに間違いはなく、国会議員数の上だけで見れば、身の丈に合わないものを着ているという印象がある。もちろん政党が抱えているのは国会議員だけではなく、最近できた政党を除けば、各政党にはむしろ国会議員の人数以上の地方議員も所属しているわけで、その意味では国会では少数派の政党が地方議員のためにスペース的にゆったりした居館を備えていても問題ではない……が、しかしそう考えてくると、地方議会においても多くの議員が所属している民主党の党本部ビルの狭さは、なおさら違和感がある。

もっと違和感があるのは、特定の政党だけに国が党本部建物の土地を貸与していることである。先にも述べた通り日本国は、自民党社民党にそれぞれ党本部ビルを建てている土地を有償で貸与している。その額は、年額で前者が約7150万円、後者が約2855万円である(いずれも平成13年から18年まで、10月から翌年9月までの12か月の金額)*4

この額は「不動産鑑定士の意見価格により算出」されていると日本国政府は述べているが、本当に相場に見合った額だろうか。例えば民主党は国会近くの民間ビルの6フロアを間借りして党本部として使用しているが、延べ床面積は約1000平方メートルで賃料が約1億3000万円だという。これに対して自民党の本部ビルは地上9階、地下1階、敷地は約3300平方メートル、延べ床面積は約1万3600平方メートルである。延べ床面積だけで比較しても、民主党本部“オフィス”は自民党本部“ビル”の10分1の広さしかないのにもかかわらず、賃借料は自民党より高い*5。なお両者の所在地は、ともに千代田区永田町1丁目地内にある。また社民党の党本部の住所も永田町1丁目である。こうした事実をもって、日本国政府は特定の政党にのみ利益供与していると批判されても、文句は言えまい。

過去にどういった経緯があれ、一国の政府が特定の政党に便宜供与をするべきではない。日本国政府自民党社民党それぞれの党本部ビル所在地を貸与していることは、あたかも55年体制という与党第一党(自由民主党)と野党第一党社会党)にそれぞれ未だにお墨付きを与えているかのようだ。しかし、かつての与党第一党は野党に転落し、野党第一党は分裂の果てにかつての栄光が霞んでしまうほどの小さな政党になってしまった。そのような体制は既に跡形もなく消え去り、古き善き時代を懐かしむ記憶でしかない。ある意味では、日本国政府による自民党社民党への利益供与は、55年体制の最後の遺物と呼べるかもしれないが、この際どんな小さな遺品さえも整理すべきである。

*1:http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b164016.htm(09年9月20日

*2:参考:http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/7643/party2.html(09年9月20日

*3:御厨貴によれば、1951年に社会党が分裂したとき、右派社会党(繰り返しになるが、のちに彼らのうちの一部が離党して民社党を結党する)は「三宅坂ビルに居座った」というが、いま民主党本部が入居している建物の名前も三宅坂ビルである。両者は同じ建物であるかどうか定かではない。http://mainichi.jp/enta/art/yakata/news/20090520ddm014070156000c.html(09年10月7日)

*4:前掲、http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b164016.htm

*5:http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20090309022.html(09年10月7日)