Waiting for the eclipse

ちょっと復活。多分これからもしばらくは、開いたり閉じたりの公開になると思います――って誰に言ってんだ?

46年ぶりに日本で皆既日食が起こると予告された09年7月22日のその当日、東京は見事に曇りだったので、わたしはテレビでそれを見ることにした。ドイツ語のテキストを読みながらテレビは点けっぱなしにしていたが、いよいよ日食までのカウントダウンが始まるや否や、わたしもドイツ語どころではなく、テレビにかぶりつきになってしまった――こういうところが、相変わらず自分でもミーハーだと思う。

生放送で日食の様子を伝えていたのは、日本テレビ、TBS、フジテレビの3局。各局とも毎日やっている生放送の情報番組の編成や放送時間を一部変更して、各地からの日食の様子を伝えていたが、ザッピングの挙句にわたしはTBSを選んだ。タレントが大勢出ていてやかましすぎる日テレやフジの番組(日テレの『おもいっきりDON!』まさにそう)なんて、神秘的なこの天体ショーにそぐうはずもなかった――とかいいつつ、結局わたしはTBSを軸に、各局をザッピングして観ていたのだけれど。

ところが、天にたゆたういと明けき珠たちは気まぐれである。日本に先んじて日食が起こる中国シャンハイは雨、日本国内最長の6分半の日食が体験できると持て囃されていた鹿児島県トカラ列島の悪石島も雨、ナントカ様とハイパーなんちゃらクリエイターの夫妻も訪れていた同県奄美大島は曇り。46年ぶりの太陽と月のランデヴーを一目垣間見せむとて狂想曲を演じ、異国や僻地へと大挙した人間ども(とりわけ日本人たち)を嘲うかのように、彼らは厚き雨雲の上で逢瀬と相成ったのである。

東京での最大日食時刻である11時13分頃、拙宅の外が騒がしくなった。何事かと思い窓から首を突き出してみると、拙宅の向かいにオフィスを構える某検定を主宰している財団法人の(とりわけ女子)職員たちが、曇り空の切れ間から日食が見えたの見えないのと大騒ぎしていたのだ。ヨレヨレのTシャツにハーフパンツ履きでボサボサ頭のわたしは、彼女たちと不意に目が合って気まずくなった。ややあって騒々しさは去っていったが、それはわたしのせいだろうか。

余談1:タイトルは"Wish upon the eclipse"(「日食に願いを」)にしようかとも迷った。わたしにも、そういう素直な情緒がないわけではないのだ。今なら"Ecliptic Capriccio"(「日食狂想曲」)でもいいかなとも思ったり。

余談2:今更気づいたが、そういえば「皆既」日食であって、「怪奇」日食ではなかったのである。あるサイトによれば「皆既」とは部分日食の「部分」に対応する言葉であって、「『すべてなくなる」』又は『すべてつきる』ということのようですね*1」とのことであるが、いにしえの人々にとっては皆既日食が恐ろしいもの、奇妙なものであったことを鑑みると、「怪奇」日食でもいいではないかと思ったり、思わなかったり。