It is only Heavy Metal that was, is and will be always with me!

1986年、へヴィ・メタルは、世界で最も有名な音楽となった。
若者は髪を伸ばし、メロイックサインを振りかざし、脳みそが揺れるほどヘッドバンギングしながら、エアギターを弾いた。当然、大人たちはそれを疎ましく思った。批評家や議会は、メタルを野蛮な音楽と決めつけ、病的で不快、悲惨で危険と酷評した。メタルファンは生活水準が低く、将来性のない若者ばかりで、社会破滅の元凶とまで言われた。
「なぜ“メタル”は嫌われ、非難されるのか?」
30歳の人類学者であり筋金入りのメタルファン、サム・ダンは、長年にわたり文化の多様性を研究した経験を活かし、メタルの聖地であるLA、北欧、ロンドンなどを訪れ、メタルゴッドたちに体当たり取材を敢行。メタルとファッションカルチャー、風俗との結びつきから、ファンの生態、宗教との関連までを(バカバカしくも)真剣に調べ上げ、遂に隠されたメタルのルーツに肉薄する。*1

秋葉原タワレコでMIND ODYSSEYの新譜が置いていなかったので、わざわざヨドバシアキバの7階まで上がってきてやったのに、こんなf***in' s***な店二度と使うかと腹を立てて帰ろうとしたら、『メタル――ヘッドバンガーズ・ジャーニー』が定価4410円のところ、期間限定で1500円だというので、衝動買いした。

わたしはかつて本編は映画館で観たことがある。だから差し当たり特典ディスクのほうしか観ていない。動く二井原実を多分初めて見た。コテコテの関西弁のオッサンだったが、日本語で答えていた音楽ライターの大野祥之とは異なり、二井原は英語ペラペラだった。二井原に限らず、SIGHの川嶋未来も――綺麗な名前とは対照的に、髪の毛も髭もボーボーの汚いオッサンだったが――英語はペラペラだった。やはりメタラーは英語が利かんとならんのだなぁ。

更に驚かされるのは、撮影クルーが取材したノルウェー人はいずれもいずれも英語がペラッペラッである。ヘヴィメタルの演奏者たちはもちろんのこと、大学教授や作家は当然、牧師も、この映画の試写会に集まったメタルファンまでもが英語で監督たちとやりとりしている。北欧の英語教育が行き届いていることは知っていたが、よもやここまでとは……。時代は英語帝国主義の時代なのだ。

ところで、このエントリーを書き始めてから、この映画を渋谷の映画館で観たのは、2006年夏だったことを思い出した。3週間の教育実習を終えて、帰京したあとのことである。わたしの2006年に関係が深い二つの話題がいま重なったのは、本当に単なる偶然である。

このときのわたしは、今まで生きてきた中で一番倦み、一番腐る直前の時期である。当時の私の精神状態は、例えば06年10月14日付けの投稿にも現れている。なぜそのタイトルに"It is only Heavy Metal that doesn't betray me!"(おれを裏切らないのはヘヴィメタルだけだ!)と言わせているのか、今更説明する気にはなれないが。

*1:http://www.amuse-s-e.co.jp/movie/release/i.php?__z=2.3.3&_ACTION[search_detail]=1&cont_id=2517(09年3月2日)