歴史的大敗のあとに――映画『選挙』を観て

表参道駅で千代田線を降り、銀座線に乗り換える。渋谷に向かうためである。

渋谷はあまり歩き慣れていない。せいぜい、映画を観るときくらいにしか行かない。映画『選挙』を上映している映画館イメージフォーラム*1にも、地図を片手に迷いながら向かった。梅雨明けの陽射しが懐かしくも暑い。

午後4時30分からの上映だというのに、3時30分に着いてしまった。到着時間を30分間違えた。近くのコンビニで立ち読みして時間を潰したあと、チケット売場に。

「今日は一日ですけど、映画の日割引はないのですか?」
店員「ありません」

この映画館ではそういう粋なサーヴィスはやってくれないらしい。これだったら成海璃子のいずれかの映画を、大手の映画館で1000円で観たほうがよかったのではないか――憮然としながらも、学生料金1500円で入館する。いま、先日の参議院議員選挙における自民党の歴史的大敗のあとに、この映画を観ることに意義があるのだと、自分に言い聞かせることにした。

観客はまばらだった。全64席の小さな映写室だったが、10人ちょっとしかいなかった。

◆歴史的大敗のあとに、歴史的大勝のあとを観る

映し出される山さん(山内和彦)の選挙戦の外面は、日本人であるならば、一年のうち数回は大なり小なり目の当たりにするありふれたものの一つでしかない。「“小泉自民党”の山内和彦です。改革を進めて参ります。」駅前でマイクを片手に立候補者は絶叫する。内容はないに等しい。改札から押し出される群衆は彼を通り過ぎる。

2005年10月、神奈川県川崎市の市議会議員の補選選挙である。同年9月の“郵政選挙”における自民党の歴史的大勝の勢いを、山さん陣営は明らかにあてにしていた。

改革とは何だったのか。あのとき日本の国民が熱狂したこの二文字は、2007年のいま、安倍自民党が自壊しつつあるいま、全く空疎にしか聞こえない。小泉も、山さんも、自民党も、自民党支持者も目指した「改革」とは、ありとあらゆる不利を弱者に押し付ける政策を、言葉巧みに納得させた新自由主義的“詐術”であった。

山さんの事務所のシーン。壁には、有名国会議員たちによって書かれたであろういくつもの「必勝」ポスターが貼り付けられていた。その中で、一つの名前が頻繁にフレームインする。片山虎之助だ。今回の参院選で地方の一人区はことごとく自民党を拒絶したが、片山の落選はその象徴であり、自民党落陽の象徴である。このとき栄華を誇っていた彼らが、2年後に窮地に追い込まれるとは予想だにしていなかったに違いない。

改革を謳っていた割には、彼らがやっていたことは、“どぶ板選挙”以外の何ものでもない。街宣車を駆り、スピーカーから垂れ流す言葉は、政党名、候補者名、「ヨシロクオネガイイタシマス」だけである。人を見かけりゃお辞儀と握手、地域の運動会ではスーツで準備体操、祭りの神輿もスーツで担ぐ(自分が担がれているのに)。彼の演説会での、応援にやって来た地元の男性先輩議員がいやらしい笑みを浮かべて漏らすポリティカルコレクトネスに反するセクハラ発言(選挙戦中で疲れているときこそ、生命の危機を感じて、少子化の社会に貢献してほしい、云々)は聞くに堪えないが、それを聞いている支持者のジジもババも大笑いなんだこれが。

印象的だったシーンを一つ。地元の自民党支持者が集まった酒席に山さんが言ったときのこと。支持者の一人がどうやら酒酔いの様子で山さんに訊いた。「お前のバンソウコウは何だ?」山さんは一瞬ピンと来なかったが、すぐに理解した。マニフェストならぬ、膏薬(公約)は何だ、つまり絆創膏は何だというわけである。

いま自民党員にバンソウコウを尋ねることはタブーだろう。安倍晋三は、今回の大敗の全責任をあのバンソウコウ大臣に押しつけたいらしいから。

この補選で、山さんは辛くも当選する。民主党対立候補と1000票くらいしか差がなかったのだ。しかし、今年4月の任期満了に伴う川崎市議会選挙には立候補しなかった*2。恐らく、政治家を続けるには山さんは“いい人”過ぎたのだろう。彼は全く普通の人である。今年の6月には彼のご子息が誕生した。先輩議員に言われたことを真に受けて、少子化の歯止めに貢献するあたりにも、彼の人のよさが表れている――かもしれない。

表参道駅

映画が終わって外に出ると、午後7時も近かった。

渋谷ではなく表参道駅に向かう道すがら青山学院に通りかかったので、ちょっとだけ校内を散歩した。ロマネスクと呼ぶべきか瀟洒な建物は、私には似合わないなと思った。

映画のあらすじ

2005年秋。東京で気ままに切手コイン商を営む「山さん」こと山内和彦(40歳)は、ひょんなことから自民党に白羽の矢を立てられ、市議会議員の補欠選挙に出馬することになった。政治家の秘書経験もない山さんは、政治の素人。しかも選挙区は、ほとんど縁もゆかりもない川崎市宮前区だ。地盤どころか後援会すらないまま、激しい選挙戦に突入することになる。

しかし、自民党としても負ければ市議会与党の座を奪われてしまう大事な選挙。何としても勝たなければならない。地元選出の自民党議員や秘書たちによる激烈な戦闘態勢が組まれ、世にも過酷なドブ板戦が始まった。

対するは、民主党共産党、神奈川ネットワークからそれぞれ公認されたベテランたち。地方の市議選であるにもかかわらず、自民党大物議員の石原伸晃や川口順子、橋本聖子、萩原健司、果ては小泉首相までが応援に駆けつけ騒然となる。

山さんは少しでも選挙民に自分の顔を売るため、神社のお祭りや保育園の運動会、老人会、果ては駅やバス停にまで出かけていき、片っ端から握手を求める「電柱にもおじぎ作戦」に出る。
また、確固たる後援会のない山さんは、地元選出の自民党議員の組織力と地盤を拝借できなければ当選はおぼつかない。他の自民党市議や県議、国会議員の支援者に自分への投票を呼びかけ、党挙げての組織票固めを試みる…。*3