Lauter Verriss zur »Goettin des Examenmachens.« (2)

7月28日に、『受験の神様』第三話が放映された。

見逃した。orz

ア゙ーーーーーーーーーーーーー!

エンジェロデーーーーーーーーーーース!!>(`Д゚)ギャー!*1

不都合な真実

見逃した理由が、わざわざ独りで隅田川花火大会を観に行き、あげくヴィデオ録画を失敗したからだなんて、言えやしない。第三話の映像は、現在全力で手配中である(どなたかいい方法をご存知であれば、ご教示願いたい)。

前回*2私はこのドラマを酷評したけれども、私がこのドラマを一週間の間どれだけ楽しみにしているか、余所様には理解されないだろう。毎日本作の内容をあれやこれやと反芻しているくらいである。

だから、こんな不自然も発見してしまうのである。

勇(山口達也)の同級生で、同じく小学校六年生の子どもを持つ西園寺公嗣(森崎博之)は内科の開業医である。言うまでもなく、国家資格である医師免許を所有している、ということになる。

医師免許を取得したいと思う者は、須らく大学の医学部医学科に就学しなければならない。これもまた、言うまでもない一般常識である。

けれども、医学部医学科の修業年限が、最低でも六年であるということは、もしかすると意外と知られていないかもしれない。私は文学部を四年で卒業したが、医学部のほか、歯学部、獣医学部、薬学部では卒業までに六年を要するのである。

だから、浪人せずに医学部医学科に入学した学生の場合、医師免許を取得するのは一番早くて24歳の年度である。例えば私と同い歳(1984年度生の23歳)で、同じ年(2003年)に医学部医学科に入学した人は、留年などをしなければ、現在五年生ということになる。

なるほど勇や公嗣は、番組ウェブサイトによれば35歳であるが、仮に山口や森崎の実際の生年を当てはめると共に1971年度生だから、彼らは今年度36歳であるとしよう。そうすると、今年度(2007年度)12歳、小学校六年生の子どもを持つためには、24歳のときに出産していなければならないことになる。24歳とは、公嗣の場合、浪人なしで入学したとしても、少なくとも医学部六年生以下のときである。

つまり公嗣が初めて子どもを持ったのは、彼が医学部生のときであったということか。年上の妻、文江の年齢(39歳)と、彼女を演じる宮地雅子の年齢(1966年生の41歳)が明らかに一致しないので文江の設定生年度を推定することは困難だが、彼女がいずれにせよ三歳から四歳の年上女房であることは間違いない。もしかすると、この西園寺夫妻は、新郎が当時まだ医学部生の学生結婚だったのだろうか。あるいは「できちゃった」のでやむなく結婚、という裏の筋書きがあるのだろうか。

医学部生さんはお金がない

公嗣のような臨床医師になるためには、ただ、六年の医学部医学科を修学し、医師国家試験をパスすればいいというわけではない。医師免許を取得したのち、新米医師たちには、一年から二年の臨床研修が制度として義務付けられている。

このときの臨床医が置かれる立場の不安定さ、とりわけ経済状況については強調しておかなければならない。文学部出身の私は、見流していたドラマ『ブラックジャックによろしく』(TBS、2003年)から知識を得たに過ぎないが、「研修医には長時間の過酷な労働の対価として月額数万円程度の『奨学金』が支払われるに過ぎず、生活費を当直などのアルバイトに依存せざるを得なかったのである。*3

経済的に不安定な医学部生、のちの臨床医が子どもを抱えた婚姻生活を継続するのは、大変な苦労が伴ったことであろう。しかも西園寺夫妻は第一子誕生の二年後に第二子(ドラマ上小学四年生の次男)を出産しているから、確実に経済的困難な時期を選んで子どもをもうけている。

私のかつての知人(私と同年齢)に、大学三年生のときに15歳も歳が離れた女性と「できちゃった結婚」をした者がいるが、この大うつけ者が言ったように「彼女にある程度の稼ぎがあるから大丈夫」という目論見だったのだろうか。婚姻初期に苦労させられたからこそ、文江は息子たちの中学受験に入れ込み、公嗣はその妻に頭が上がらないというドラマがこれから明らかになるのだろうか。

それとも、このドラマは主人公である勇と広の梅沢家が父子家庭であるという点は、両親と子どもからなる日本の典型的な家父長的家族に挑戦的である。その上婚前交渉で子どもを作ったという家族を配置するということは、このドラマは天皇を頂点とした日本の家父長制に暗に異議を申し立てる左翼的な作品なのだろうか――保守色の強い読売グループの日本テレビが制作してるのにもかかわらず。

ドラマ制作者のご都合主義

なぜこのような不自然なキャラクター作りか行われたか。私はひとえにこのドラマがまず“ジャニーズ事務所からの主役起用ありき”で、すなわち山口達也を主役の父親に起用することを前提にしてストーリーが練られたからだと考えている。

金田一少年の事件簿』第一シリーズ(日本テレビ、1995年)以降、日本テレビのこの土曜九時枠においてジャニーズ事務所が一定の発言力を保ってきたことは疑いない(こんにちにおいては、それどころか、ジャニーズタレント抜きにしてドラマ制作は考えられないかもしれない)。そして前年の同クール同枠では『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』(日本テレビ、2006年)が放映されたが、主演にTOKIO長瀬智也、助演にNEWS手越祐也とジャニーズタレントが起用されているどころか、主題歌までTOKIOが担当するという点まで、『受験の神様』と同じである。

『マイ☆ボス〜』は最高視聴率で23.2パーセントをとるという人気ドラマだったが、それは、27歳の暴力団若頭が年齢をごまかして高校に裏口入学するという荒唐無稽な設定が下敷きになっているコメディだったからであろう。コメディなればこそ、荒唐無稽な設定が功を奏する。方や『受験の神様』はコメディとは言えないだろう。

前回も述べたが、山口達也が小学生の父親役というのは違和感がある。よくよく考えれば、晩婚化のこんにちにあって、35歳で小学六年生の父親というのは、相当若い父親である。厚生労働省の「平成15年 人口動態統計月報年計(概数)の概況」によれば、母親の場合、第一子出生時の平均年齢は平成15年(2003年)で28.6歳、平成7年(1995年)で27.5歳である*4。なお1995年に出生した子どもは、今年12歳の小学六年生である。

更に東京都においては、平成15年のデータでは30.0歳という*5から、平成7年のデータは見つからなかったが、東京都は全国平均よりも二歳弱高いことが予想される。つまり、いま東京の12歳児の親は、29歳頃に彼らを出生した人が多いということが統計上言えるのである。まして四年制大学を卒業している人が、23、24歳で親になることはますます少ないように思われる。

現在35歳の医師が、12歳児の親であることが不自然であることは既に述べた。いやそれどころか、こんにちの東京都において35歳男性が12歳児の親であることこそが統計上少数派と言えそうなのである。にもかかわらず、親が小学校以来の同級生である三家族に、揃いも揃って12歳の子どもがいるということは、制作者のご都合主義以外にいかなる説明が可能になるのだろうか。

成海璃子の不幸

日本テレビは今夏のテーマとして「学校」を掲げており*6、キャンペーンキャラクターを成海璃子と、志田未来が務めている。志田は、今クール火曜日10時の『探偵学園Q』の主演である。なるほど『受験の神様』にせよ『探偵学園Q』にせよ、「学校モノ」である。

つまり、『受験の神様』はこういう経緯で物語と配役が決まったのではあるまいか。

  1. ジャニーズ事務所から主役以下数名を起用しなければならない。
  2. 「学校」をテーマにした物語にしなければならない。
  3. キャンペーンキャラクターを義務教育年齢の15歳以下の女優から起用し、かつドラマでも主演として起用しなければならない。

原作がマンガである『探偵学園Q』はともかく、『受験の神様』はこのような理由でなければ、あのような適切でない配役と、テーマにそぐわない荒唐無稽な設定にはならないだろう。しかも不幸なことに、両者とも視聴率は低迷し、『受験の神様』に至っては第三話は7.1パーセントという体たらくである。

日本テレビ火曜10時の枠が前作『セクシーボイスアンドロボ』以来マンガ原作枠であり、大して人気が出ないことはわかっている。けれども私としては『探偵学園Q』は原作者が『金田一少年の事件簿』と同じ天樹征丸さとうふみやなのだから、いっそ土曜9時で放映し、逆に『受験の神様』を火曜10時に持っていったほうがよかったとすら思えるのである。そうすれば『受験の神様』でジャニーズをわざわざ父親役に据える必要もなかったのだ。

仮に三家族の親を同級生という設定は生かすとしても、山口を起用しなければ、全員を35歳にする必要はなく、従って西園寺家の不自然さを生むこともなかった。そして、テレビ局が「学校って、なに」というキャンペーンを張らなければ、「受験の神様・菅原道子」をわざわざ中学生にする必要はなかったのである。

このドラマに起用されてしまったことは、成海璃子にとって大いに不幸である。「これだけ放送前の期待(3強の一角としていた)を木っ端微塵に裏切ってくれると、これはもう悔しいとかいうより、爽快な気分となってきましたよ!*7」と言う人がいるように、このドラマに対する視聴者の期待は高かったようである。視聴者の期待を裏切り、成海の商品価値を著しく貶めた日本テレビの責任は大きい。