記事投稿100回に際して

2004年8月にふとした思いつきから始めたこの「日々徒然」も、本稿をもっていつの間にか投稿100回を迎えるそうだ。足かけ3年の牛歩戦術である。

そこで今回は、「日々徒然」の3年間を振り返る。

そもそも、どうして投稿100回を迎えるのに、3年もかかったのか。理由は明白である。ご覧の通り我がブログは、一回一回の分量が多いため、頻繁に投稿、更新できないのである。一回につき、4000〜5000字は超えている。

そのことはまた、私のブログが不人気である理由でもある。このブログにはごく僅かな友人かブックマーク登録者以外に、固定の読者がいないのである。およそ「ブログ」の名のつくものは「日記」と同義であり、内容も短く、“カルい”ものが大勢を占める。現代の世人は是か非か、イエスかノーか、白か黒か、右か左かを一目瞭然にできないと満足できないのである。

「日々徒然」開設当初から、私は単なる日記は書かないことにしていた。私が経験してきたことを基に書かれた文章を、時々は日記のカテゴリーに入れて公表してきたことはあったが、それでも話題は極めて限られているし、言うまでもなく軽いものではなく、長い文章である。例えば私がヘヴィメタルバンドのライヴに行ったときのことを書いたとしても、それは結局長大重厚な音楽評になってしまっている。

世人の、ブログやmixiなどソーシャル・ネットワーク・サーヴィス(SNS)に対する興味は、他人を知り、自らを知られたいという欲望に基づいているように思われる。詳論は別の機会に譲るが、21世紀の現在に至って孤独極まった個人たちが、他者と繋がり孤独を癒したいという本能を働かせているのかもしれない――余談だが、私はSNSを一度も利用したことがない。

“カルく”てポップな短い文章を書けないというのは、もはや私の癖である*1。私もこう見えても学者の端くれである。ノルウェー語ほどではないが、私の身体には“話し言葉”と“書き言葉”の別が染みついているようである。しかしながら、面倒な問題を整理して語るためには、論理構成が不明瞭になりがちな話し言葉では不十分である。その点では浅田彰宮台真司には驚かされるが、別にそうなりたくもない。

このブログは、大衆に読まれることを望んではいない。当初はインターネット上の言論活動で有名になるという野心はあったが、私と同じ安易な考えを持った“ブログ言論人”があまりにも多く、この中から正攻法で突出するのはなかなか難しいだろうと思ったからである――後藤和智はその中から現れ、内藤朝雄本田由紀に認められたことで有名になった稀有な存在だが、私にはそこまでの熱意もコネもない。むしろ私は、自らの政治的立場が「右」であるか「左」であるかをわかりやすく明示する有名大学教授や知識人ほど信用できない者はないと確信しているので、ゼミなど就学制度上の都合を別にすれば、そういった人物に取り入って私淑することから可能な限り距離を取っている(後藤がそうしているかどうかは知らないが)。

それ以上に、後藤とは異なり、私は本職の政治哲学者なのである。だから社会批評や哲学議論を、安易に、拙速な分析のままにジャーナリズムやインターネットに公開するのはやめようと思ったわけである。だからこのブログ上に載せられている記事は、2005年の後半以降、学術的な備忘録以外は、鉄道や音楽など趣味の話を少し込み入った形で論じているものだけになってきている。政治学者の原武史にとって鉄道にまつわるエッセイを執筆することが一種の清涼剤の役割を果たしているように、私にとっても、必ずしも専門領域と関係のない趣味の話をすることは、楽しみの一つである。その代わり、それで有名になろうとは絶対に思わない。趣味は趣味であり、それでお金をもらうようになってしまっては、趣味でなくなってしまう。

今後「日々徒然」はどうなるのだろうか――という問いはまことに愚問である。陳腐である。何か変わったことをすることはありえないだろう。現状維持である。少なくとも、どこかのブログランキングに登録して、たくさんの読者にたくさん読まれることに私が快感を覚えるという事態にはならないだろう。もちろん、読まれて嬉しくないわけはないが、だからといって世人に媚びて「ナウなヤングにバカウケ」の話題を提供することはないであろう。

*1:前回投稿の記事は“カルく”書こうとして失敗した典型例である。http://d.hatena.ne.jp/RYUSUKE/20070714#p1