母性に関する哲学的断章

親子の関係は、遺伝情報の半分を共有しているという事実を根拠にする主張に、私は与しない。もしかすると、この主張からは生物学的な血縁関係があることは認められるかもしれないが。

確かに、分娩によって母性が女性に生じるという主張には一理ある。男親の例を見ればよくわかる。具体的な身体的変化を経て、また自身の身体から新生児を創り出す女親とは違って、男親はいかにして「親」となりうるのだろうか。親になったこともない男は想像で物を言うしかないが、男親の場合はせいぜいのところ「動物としての同族種の年長者」でしかないだろう。

仮に父性なるものが遺伝子にプログラムされているとして、女性のような具体的な身体的変化が伴わない男たちは、いつどのようにして父性のスイッチをオンにするのだろうか。目の前に生まれたばかりの赤ん坊が突如現れて、しばらく一緒に暮らしていたら?――という仮定は十分に考えられるが、しかし例えば歳の離れた弟や妹がいる男性には全て父性が生じることとなってしまう。だとすると、8歳離れた弟に対する私の感覚も父性と呼べるようになってしまうが。

ともあれ、同様にして、女性においても「動物としての同族種の年長者」としての「母性スイッチ」がオンになるとは考えられる。ウィキペディアによれば「ヒトの場合、出産直後には子供に愛着を感じないこともあるという。育児行動が積み重なることで、母性本能のうち『感情に属する部分』が高まってくるとも言われ」*1ているそうである。

但し、最初に述べた通り、遺伝情報を共有していることと、それによって親子関係が成立するかどうかは、全く別問題である。保存されていた死亡男性の精子を用いて人工授精によって出生した子どもを、その死亡男性の嫡出子とはしないという司法判断には、結局遺産相続等の、民法上の諸手続きを亡くなった男性の意志抜きには決めかねるという根拠があった。例えば法学的な見地からは、そのようにも反論することができる。

だが、精子バンクに保存されていた誰かの精子と、卵子バンクに保存されていた誰かの卵子を人工的に受精させ――ここまでは現代の技術でも可能であるが――、人工子宮によって十月十日成育されたヒト種の幼生は、一体誰の子どもとなるのか。精子卵子の単なる提供者か、それとも研究所の科学技術者か。「愛情の有無」などという陳腐な話を持ち出してはならない。この場合の技術的に創出されたヒト種の幼生は、明らかに「愛の産物」ではない――エゴイズムという自己愛の産物であるとは言い得るかもしれないが。

自然的な手立てを失った人が技術的な方法で我が子を得ようとする場合、それは親志望者の明らかなエゴであることを、彼らは自覚すべきである。というのも、自然的な方法では、たとえ生殖機能に不備がなかったとしても、どの愛し合う両者にも愛の産物が贈られるとは限らないからだ。それを何とかして得ようとする「無いものねだり」は、やはりわがままなのである。だからこのエゴイストたちには「なぜ子どもを得なければならないのか」という、「子どもがほしい」という彼らの切実な願いと表裏一体となっているが、決して見過ごしてはならない問いが突きつけられている。人工子宮を用いた科学技術者ならこう答えるだろう、「科学の繁栄のためだ」と。

尤も、母性が分娩によって生じるという道徳的な主張に対する反証は、まことに簡単である。自らの子宮から「お腹を痛めて」創り出した我が子を、極めて簡単に殺してしまう母親がこんにち多く見られるからだ。彼らに「なぜ子どもを得たのか」と問うたならば、「生かすも殺すも、自分の思い通りにするため」とエゴイスティックな回答が得られそうでまことに恐ろしい。

臨床心理学ではマターナル・デプリヴェーション(maternal deprivation 母性欠如)と言うが、人間の子どもは幼少期に母親か、それに代わる存在――つまり愛情を注いでくれる存在がなければ、文字通り死にやすくなるのである*2。こうした科学的事実は、子どもは親のエゴイズムに容易に殺され得るということを象徴しているかのようである。

nikkansports.com『向井亜紀、役所書類は「母」

東京都品川区は10日、タレント向井亜紀(41)と元プロレスラー高田延彦氏(44=PRIDE統括部長)夫妻が代理出産でもうけた双子の男児(2)の出生届受理を命じた先月29日の東京高裁決定を不服として、最高裁への許可抗告を申し立てた。これを受け夫妻は高裁決定後、初めて会見。高裁決定に「真正面から取り組み理解していただいた」と感謝した上で「最高裁には2人の子どもたちの幸せを考える決定をしてほしい」と訴えた。

夫妻は弁護士2人を伴い会見場に現れた。弁護士が東京高裁の決定内容を説明した後、慎重に言葉を選びながら質疑に応じた。

高田 高裁決定にもろ手を挙げて喜んでいるわけではないが、真正面から今回の問題について取り組んでくれたことに感謝している。我々からアクションできる立場ではないので、あとは結果を待つしかない。

向井 代理出産はどこかで誰かがやっていること。私はオープンにやった方がいいと思うので、日本の法律がそれに応えてくれるのを確かめるのは意味があると思う。

代理母出産について日本の法律に規定はないが、法務省の見解は「日本では産んだ女性が母親」。そのため、法務省は夫妻の子として提出された出生届を不受理とした。高裁決定も民法の解釈論としては「高田夫妻は法律上の親とはいえない」としている。しかし、<1>米国裁判所が高田親子の子と認定した<2>向井は子供を産めない体である<3>代理母も金銭目的ではない、などを認定。「血縁関係は明らかで、親子と認めた米国の確定裁判を承認しても公序良俗に反しない。受理しないと法律的に受け入れる国がない状態が続く。子の福祉を優先すべき」と判断した。

向井によると、先日、置引に遭い、子どもたちの健康保険証もなくしたという。「品川区役所で再発行を求める書類を書く際、続き柄を空欄で出したら、打ち出された書類は『母』になっていました。実務的には母にしてもらっている」と話した。裁判をする意味について2人は「役所はなぜ不受理なのか説明してくれない。子どもたちが大きくなったときに、きちんと理由を含めて説明してあげたい。説明できる判断なら期待した答えではなくとも納得する」と話した。

子どもたちは元気いっぱいだ。高田は「親ばかですが、素直でかわいい」、向井も「レスラーになりたいと言ったら『わたしを倒してからいけ』と言います」と笑った。[2006年10月11日7時59分 紙面から]*3

MSN毎日インタラクティブ代理出産:50代後半「母親」が「孫」を 院長公表』

子宮を摘出して子どもを産めなくなった30代の娘夫婦の受精卵を使い、50代後半の母親が代理出産していたことが分かった。実施した諏訪マタニティークリニック(長野県下諏訪町)の根津八紘(ねつやひろ)院長が15日、東京都内で記者会見して明らかにした。実母からみて孫を代理出産した例が明らかになったのは国内では初めて。子どもは母親の実子として届け出た後、娘夫婦と養子縁組した。

根津院長によると、娘ががんで子宮を摘出したことから、母親が約4年前に代理出産の相談を持ちかけてきた。04年に娘の卵子とその夫の精子体外受精させ、受精卵を娘の母親の子宮に移植、昨春出産した。子どもの性別や出産場所は明らかにしなかった。母親は閉経して自然妊娠できない状態だったため、女性ホルモンを投与した。現在の体調に問題はないという。また、子どもの出産時の体重は約2400グラムで、健康状態は良好としている。

代理出産は海外で実施されているが、国内では03年に家族関係を複雑にすることなどを理由に日本産科婦人科学会が禁止する指針を作り、厚生労働省の審議会も罰則付きで禁止すべきだとする報告書をまとめている。

今回の代理出産について根津院長は「親子愛で成り立つ代理出産は、姉妹間に比べて(子どもの引き渡し拒否などの)問題が起こりにくい」と説明。高齢出産の危険性についても「事前に健康状態をチェックした」と問題がないと強調した。

根津院長は01年5月以降、妻の妹などが出産する2例の代理出産を実施したことを公表。会見では「さらに2例、妻の姉妹が代理出産したケースにかかわった。他にも2〜3例の実施を検討している」と語った。【田中泰義、森禎行】

代理出産】 妻が病気などで子宮に問題があって妊娠できない場合、妻以外の第三者の女性に妊娠・出産してもらうこと。体外受精で作った夫婦の受精卵を代理母の子宮で育てる方法(借り腹)と、代理母卵子も提供し、夫の精子と受精させて育てる方法(代理母)がある。海外では、米国の一部の州や韓国、英国などで認められている一方、独、仏、オーストラリアなどでは禁止されている。

◇国が方向性を示せ

日本産科婦人科学会倫理委員会の吉村泰典委員長の話 代理母には妊娠・出産によるリスクがあり、女性を道具として扱っているとの見方もある。特に今回は代理母が50代と年齢が高く、死を覚悟した出産と言わざるを得ない。一方、代理出産で生まれた子どもの出生届をめぐって争う向井亜紀さんのケースのように、生まれた子どもをどう扱うべきかという問題もある。国は法制化を含め、早急に方向性を示すべきだ。

毎日新聞 2006年10月15日 20時13分 (最終更新時間 10月16日 1時21分)*4

*1:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E6%80%A7%E6%9C%AC%E8%83%BD

*2:具体的には、十分な愛情を受けずに育った子どもは情緒不安定になったり、病気にかかりやすくなったりするという。

*3:http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20061011-102175.htmlより引用。

*4:http://www.mainichi-msn.co.jp/science/medical/news/20061016k0000m040065000c.htmlより引用。