Endlich bekam ich das Buch von Arendt zu verstehen!

全体主義の起原 3 ――全体主義

全体主義の起原 3 ――全体主義

卒論の主要参考文献としてハンナ・アレントを読んでいる。19世紀末から20世紀半ば以降に活躍したドイツ出身の思想家は、大概何を言っているかわからないほど言っていることが難しければ、その文体は更に難しい。具体的な名前を挙げれば、マルティン・ハイデガーカール・ヤスパースなどだが、〈一般人には何を言っているのかわからないことを言う〉ことを意味するadornieren(アドルノする)という動詞まで作られてしまったテオドール・アドルノの思想は、その最たる例だろう。アレントも、上に挙げたハイデガーヤスパースに師事したこともあり、例外ではない。

私は、同業者にしかわからない思想と言説を繰る学者は失格であると思う(だからこのブログも、専門的な話題を可能な限り平明な文体で記そうと心がけている)。というか、ムツカシイ本は嫌いなのである。今までは、思想の分野に関しては解説書や新書など易しいに逃げていたきらいは否定できない。しかし、卒論を書く以上は、原典から逃げることは許されない――『全体主義の起原』を読む前に、(予習として!)エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』*1を読んでいたら、「君は放っておくとまた別の本に寄り道するから、早くアレントを読みなさい!」と卒論の指導教員に説教されもしたけれど。

不思議なもので、わからん、ワカランと唸りながら読み進めていくと、何となく言っていることがわかってくるのである。これを私の指導教員は「チャンネルが合う」と呼んでいる。翻訳書の故か、それとも訳者の文体の故か、読点の少なく意味の切れ目がわかりにくい本書の訳文にも慣れてきた。

本書の読書を終えたら、次はアレントの主著とも言える『人間の条件』*2を読もうと思うが、実はマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神*3も気になっている。理由を記すと余りに長くなるので割愛するが、一つ言えることは、全体主義を分析するに当たって、資本主義と民主主義に対する分析は必ず避けて通れないということである。

*1:日高六郎訳、東京創元社、1951年〔原著は1941年〕 ISBN:4488006515

*2:志水速雄訳、中央公論社、1973年、筑摩書房ちくま学芸文庫〕、1994年 ISBN:4480081569

*3:大塚久雄訳、岩波書店岩波文庫〕、1989年(改訳版)ISBN:4003420934