「日本軍」が世界を制す

NIKKEI NET『王ジャパン世界一に、10―6でキューバ倒す・松坂がMVP』

【サンディエゴ(米カリフォルニア州20日共同】米大リーグの選手が本格的に参加して初めて開催された野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は20日(日本時間21日)、サンディエゴのペトコ・パークで決勝を行い、王貞治監督(ソフトバンク)が率いる日本は10―6でアテネ五輪優勝のキューバを破り、初代世界一に輝いた。最優秀選手(MVP)には決勝の先発を含め3勝無敗の松坂大輔投手(西武)が選ばれた。

参加16カ国・地域の頂点をかけた試合は、一回に今江敏晃内野手(ロッテ)の適時打などで4点を先取し日本ペースで進んだ。終盤1点差まで追い上げられたが、九回にイチロー外野手(マリナーズ)と代打福留孝介外野手(中日)の適時打などで4点を追加し、五輪優勝3度でアマチュア最強のキューバを振り切った。

次回大会は2009年に開催予定*1

日本時間3月21日午後3時、ワールド・ベースボール・クラシックWBC)で日本代表チームがキューバを破り、優勝した。この日(も)私は起床してすぐに、いつものようにテレビを点けると、試合は9回裏で、実況者は「あと3人(3アウト)で日本の優勝が決まります!」と絶叫していた。

私はWBCにさほど注目していなかった。せいぜい、一次リーグの対アメリカ戦で、ボブ・デービッドソン審判が「誤審」をしたことにマスコミが沸き立ち、報じたことで「ああ、ワールドカップの野球版みたいことやっているんだっけ」と思った程度である。だから高視聴率や、新聞の号外を求めた人々が殺到して怪我人が出る事態など、まことに信じられないのである。

ま、私の無関心さ加減はさて置く。上述のように、私以外の日本国民の多くは、「日本軍」――日本スポーツマスコミの言い方に倣って、「巨人軍」「ヤ軍」(米国大リーグのニューヨーク・ヤンキースのこと)などのように、野球チームを「軍」と呼んでみた――の栄冠に狂喜している。

王貞治監督は帰国直後の記者会見で日の丸を身につけて戦うことをうれしく思って戦った*2と述べた。この他にも彼らは「国の威信をかけて」「日の丸を背負って戦えて嬉しい」という趣旨のことなどを述べている。私が思うのは、これらの発言に耳をそばだてる無粋な輩が、右を向いても左を向いてもいそうだということだ。

「日本軍」の選手たちは、確かに日の丸がついたユニフォームを身につけて戦った。そして「日本のために」と戦った。しかし彼らが戦ったのは、ファンという名の日本国民のためであり、また日本にいる親や兄弟や家族のためだ。少なくとも、権力者のためではない。

大会中、イチロー選手は普段のクールなイメージとは裏腹に、感情を剥き出しにして、取り分け韓国代表チームに大しては挑発的な発言をした。これを、朝鮮を嫌っている右翼・保守主義者たちは歓迎するかもしれない――が、それでは彼らは「パブロフのワン君*3」であり、イチロー選手を含めた選手たちの愛国主義的発言と、それを歓迎する右翼・保守主義者たちを「戦時への逆行だ!」と反応する左翼陣営の者たちも、やはり「パブロフのワン君」である。

選手たちに、政治的イデオロギーがある筈もない。彼らにあるのは(学術的、或いは政治的テクニカルタームに堕してしまった)「愛国心」と呼ぶのも憚られるような、日本のファンや家族のために勝利を持ち帰りたいという、極めて純粋な愛国心である。私が危惧するのは、こうした選手たちの、或いはそれを応援するファンたちの純粋な愛国心が、上で述べた「パブロフのワン君」たちに曲解されて、誤った形で利用されはしないかということである――例えば、東京都の権力者たちが子どもたちや教員たちにに「日の丸・君が代」の受容を強制するような形で。

スポーツは、ある面では戦争のパロディである。私はそう思う。国同士の代表が戦うオリンピックやサッカー・ワールドカップ(W杯)などの世界選手権では特にそうだ。1970年W杯では、中南米カリブ海2次予選におけるホンジュラスエルサルバドル戦の結果が両国の戦争を引き起こした*4が、その本末転倒な事例は、スポーツの国際試合が持つ戦争のパロディ性を如実に示している。

国家間、民族間の軋轢はあるものとして仕方ないが、それを解決するもの代表的な手段としてスポーツがあるべきである。寧ろスポーツ選手たちは、文字通りの戦争を回避するためのオルタナティヴ(代替物)として、国際舞台で「戦争」をするのである。イチロー選手の韓国チームに対する挑発的な発言も、自チームを鼓舞するための、何より自らを鼓舞するためのパフォーマンスであろう。野球にせよサッカーにせよお隣韓国は日本代表チームにとってのライバルであり、愛憎半ばする形だが、お互いに成長、発展していければ望外である。彼らやそのファンに政治的なイデオロギーを見出そうとするのは、「おバカなパブロフのワン君」である。

私たちの――と言っても「私」(筆者)自身は殆ど持ち合わせていないのだけれど――純粋な愛国心を、権力者たちにいいように操られてはいけない。また私たち自身が「パブロフのワン君」に成り下がってもいけない。私たち良心的な日本人たちが、これらを監督しよう。無粋な奴らにスポーツを愛する心を邪魔されないようにするために、そして何より、スポーツを愛する心を利用されないようにするために。

*1:http://www.nikkei.co.jp/news/main/20060321STXKC024321032006.htmlより引用。

*2:http://www.yomiuri.co.jp/sports/wbc06/news/20060322it14.htmより引用。下線は引用者による。

*3:社会思想家・仲正昌樹の用語。生理学者パブロフは、犬が餌を見ると必ず舌を出してよだれを垂らすようにしつけたが、人の話がわからずに特定のキーワードにだけ反応する人たちを、仲正は「パブロフの犬」に倣って、そう呼んだ。

*4:http://www.sponichi.co.jp/wsplus/column_wc/00438.htmlの、「エピソード1 “え? 本当の戦争が勃発した”」に詳しい。