「首都大学東京」という問題

私の元に、ある受験生からのメールが届いたのは、2月5日(日)のことであった。本文には、もともと首都大学東京(以下「首大」)を受験するつもりはなかったのだが、センター試験で国語、英語、社会の3教科で予想以上によい点数をとり、元々私立文型で、他私大が第一志望であるが、この3教科で受けられる首大も「急遽」出願することになったという旨が述べられていた。

なので首都大については『旧都立大でしょ?』程度しか知りません。そこで今日いろいろと首都大のことについて受験的な観点からではなく入学後はどうなんだろうという観点で色々調べていたら『クビ大』や『首都大には絶対に行くな』などのショッキング?な意見が多々ありました。細かいことは見なかったのですが都立大の頃と比べるとかなり悪くなっているのかな?という印象を受けました。*1

私が都立4大学・短大廃止、首都大学東京設置に関わる問題点を論じた文章「クビ大には絶対行くな!」は、都立大、もしくは首大に関連する掲示板からリンクが張られるなどして、結果在学生の怒りや、このメール送信者のような受験生の不安をいたずらに煽ることになってしまったのである。こればかりは、ある程度想定の範囲だったとは言え、文責者として反省しなければならない。ただ無論、議論の俎上から下ろさなかったことは、誇りに思っている。この問題は当時も現在も、大いに議論されなければならない話題であると確信している。

*2とのメール交換で気付いたことは、私の問題設定の仕方は、どうも都立大に勤務していた教員たちに与するものであったということだった。私が首都大学に反対するにあたって多く依拠したのは、岡本順治・都立大教授(当時)のウェブサイトであった。しかし、大半が4、5年で卒業してしまう学生にとっては、自校に関して余計な波風を立てられることは迷惑以外の何物でもなかったのだろう。大学教員や、まして私のような門外漢に自校の評判を貶められて、就職に差し障りがあったら堪ったものじゃないなんて、今時の学生ならば考えずにはいられないだろう。

設置者である石原慎太郎東京都知事と、学長である西澤潤一首大開学に当たって記した言葉に、都立大学大学院出身である内田樹神戸女学院大教授は苦言を呈している*3。内田が「意味ぷー」と評する西澤の言葉*4は、確かに私にも意味を量りかねる。少なくとも、開学に当たって述べる必要のある内容ではないと思われる。正直、首大をどのような大学にしたいのか、具体的にはおろか抽象的にも、全く見えない。今年80歳になる「教育者」の気概を疑う。

「『意味がわかる』という点について言えば、次の石原慎太郎のことば*5は西沢新学長のものよりずっとクリアーカットである」と言う内田に私も同意する。要は「『私は東大が嫌いだ』と『大学生は自分の大学の教師からほとんど学ぶことはない』」*6としか述べてはいない。もし他に述べていることがあるとすれば、「経済界の要請に応える大学にする」とも言っているだろう。

実は、私は石原が提案する「学生を教えている先生そのものも自己批判して、自分がどんな授業をするかということ」*7を改善すべきだという極めて小さい部分だけは賛同する。川成洋・法政大教授らが批判する*8ように、何の自己研鑽もせず、論文なし著書もなし、十年一日の如くに古びた授業ノートを使いまわす「藩札教授」(川成の言葉)、学内政治に没頭する「学校屋」(同じく川成の言葉)は確かにいる――恐らく1960年代に全国で大学が急増した頃に採用され、現在70歳間際で定年を待つ者たちであろう。川成は、「藩札教授」に限って「学校屋」に堕すると述べる。更に、比較的中堅の教員の中にも、こうした「藩札教授」や「学校屋」はいると私は確信を持って断言する。こういう奴らは本当に要らない。

あんまり大学の先生を尊敬することもない。私も大学4年いましたがね、ま、あんまりろくな先生はいなかった。2、3年前のノート読んでたりしてね。「先生、あんた、去年のノート読んでるじゃないか、駄目だよそんなこと」と、言っちゃったらいいんです、生徒の方が。そんな授業、出なけりゃいい。上と下との関係じゃないと思いますよ。*9

首大05年度入学式で石原が述べた祝辞からの引用である。つまり石原は「藩札教授」を批判している訳だが、先にも述べた通り、そこに限っては私も石原に賛同する。

だが、だからと言って、「藩札教授」=「学校屋」を廃するために、例えば教授会を無くして上位下達のトップダウン方式にする*10ことが正しかったとは思えない。また「若者の欲求を満たす」*11ことが、経済界の要請に応えることとイコールだとも思えない。どうも大学改革と経済界の要請とは、強烈な親和性があるのである。それは国立大学の独立行政法人化にも言える。

「藩札教授」や「学校屋」は今すぐ辞めさせるべきだ。日本の将来のためにならない。そのための教員任期制などは、明確な雇用ルールが策定された後であれば、大いに賛同する。そのほか、大学教育や研究の質向上に必要な制度は作られなければならない。例えば、小中高校では行われている教員間相互による授業研究は、大学でも行われるべきだ。大学教員は絶えず批判の波に曝されて、自己研鑽に励まねば「大学改革」は達成されない。

「学校屋」とは、例えば首都大学に反対するためにウェブサイトで言論活動を行っていた岡本順治も、学内政治に大きく関与しているという意味では、それそのものである。彼は自らのウェブサイト上で、更新作業をしているお陰で自分の研究ができないと漏らしていた*12が、インターネット掲示板における学生の反発は、彼らの心情をよく斟酌すれば理解できる。この岡本が、05年度より学習院大学に転出してしまったことはいかばかりか*13

けれども、大学の自治は死守されなければならない。それは学問の自由を守るための戦いでもある。私は岡本の苦労を労いたい。だから教授会が大学運営の最高意志決定機関であるべきだという主張を、私は認める。だがそれは決して「藩札教授」や「学校屋」を守るためではない。教授会の機能として、そうしたダメ教員を解雇するシステムがあるべきなのだ。

学問の自由は守られるべきだ。これが守られなければ、大学は「体制に唯々諾々と従う労働者をつくり出すシステム」*14になり下がる。即ち、全体主義を下支えする大衆の生産工場である。事実、教養教育を放棄し、英語の授業を外部の英会話学校*15に「丸投げ」した首大は、そのシステムの典型となろう。英会話学校での「英語」授業と、一般学校での「英語」授業は決定的に異なっていることを、ある英会話学校の経営者が述べているのを見たことがある。

また首大には東京Uクラブという後援団体ができた。その構成員は、「都立大学に限らず、いろいろな大学を卒業し成功している大・中・小の優良企業の経営者の方々で日本の教育を憂いている人たちばかり」*16だそうだ。「日本の教育を憂いている」経営者が教育界に欲するのは、「体制に唯々諾々と従う労働者」ではないのか。

経済界の要請に拠って政権を維持する小泉政権が応援していたのは、「カネこそ全て」と言い張ってやまなかった堀江貴文ではなかったか。その堀江が逮捕された時、冷や水を浴びせられたと感じたのは小泉や竹中平蔵、或いは武部勤ら政治家だけではあるまい。私たち一般市民も少なからず感じた筈だ。

教育と経済界とは、基本的に親和性が強いからこそ、意図的に離されて構築されるべきだ。よって私は、体制に擦り寄っていこうとする大学は、その全てを支持しない。

*1:受信したメール本文より引用。

*2:もしくは彼女。私はこの送信者の性別を知らないが、便宜上「彼」で通す。

*3:Archives - 内田樹の研究室

*4:http://www.tmu.ac.jp/university/messages/president.html

*5:http://www.tmu.ac.jp/university/messages/governor.html(石原a)

*6:内田、前掲。

*7:石原aより引用。

*8:『だから教授は辞められない 大学教授解体新書』ジャパンタイムズ、1995年 ISBN:4789007952

*9:http://www.tmu.ac.jp/whatsnew/050406_tiji.html(石原b)

*10:内田、前掲。

*11:石原aより引用。

*12:「情報を入手してから,噂話としてすぐに書いてしまうこともありますが,大抵は裏をとり,情報を集め,関係者と直接・間接的に公開できる範囲を打ち合わせたりします。過去1年強の間,毎日数時間このために費やしてきましたが,そのために自分の研究が進展しないままになっています。それほど最先端のことを研究しているわけでもありませんが,他の研究者が自分の書く予定だった内容に極めて近い内容の論文を発表しているのを見ると,非常にくやしい思いがします。」『都立大の危機 FAQ 廃校 or 改革?』より引用。

*13:http://www.gakushuin.ac.jp/univ/let/germ/subject/staff_02.html

*14:的場昭弘マルクスだったらこう考える』(光文社〔光文社新書〕、2004年 ISBN:4334032818)p.213より引用。

*15:ベルリッツ・ジャパンのこと。

*16:石原aより引用。