I'm running for cover.

去年の12月30日も、僕はこうして上野駅15番ホームで、13時20分発宇都宮線――正確には東北本線――黒磯行きの電車を待っていた。

それだけではない。僕は去年の今日も、上野駅構内の大連絡橋通路にあるニューデイズミニ上野2号店で車中食べるつもりのおにぎりとパンを買っていた。それでだけではない。僕は去年の今日も、北千住から上野へ向かう12時37分発常磐快速線に乗っていた。多分最寄駅から乗った電車も、去年の同じ時刻に発車した電車だったのだろう。

但し去年の僕は、今年ほど斯様に陰鬱とはしていなかった筈だ。

12時59分、宇都宮線上野行きの電車10両編成が15番線に入線し、停車する。去年と同じ新型のE231系だった。乗っていた乗客が下車し、始発電車に乗客が乗る前に車内清掃が行われる。これも去年と同じだった。

上野駅止まりの常磐線宇都宮線高崎線は、どの電車もこの駅で車内清掃が行われるということは知っていた。今年の僕は、知っていた。それを知ったのは、今年の1月以降   一緒に常磐線に乗る機会が格別に増えてからだ、増えたからだ。去年の僕は、知らなかった。

今年の僕は、前から6両目のクロスシートを確保した。これで僕の、黒磯までの長旅3時間強の快適はある程度担保された。去年の僕は、1両目のクロスシートを確保してしまった、前5両は途中の宇都宮駅で切り離されることも知らずに。発車直前の車内アナウンスで気付かされ、慌てて後ろ側に回ったが、ロングシートにすら座れなかった。キャリアーを引いた大荷物のまま、僕は大宮辺りまで座れなかった。ロングシートを確保できたのは大宮以後純然たる宇都宮線に入ってからだった。

1日に1本しかない黒磯直通電車は、いつもの日常の足代わりではなく、さながら旅行列車の装いを見せていた。僕も含めて、大荷物を抱えて物を食っている客が多かった。

僕と反対側――僕は景色がよく見えるように、進行方向に対して左側に座った――のクロスシートに座っていたのは、共に眼鏡をかけた母子連れだった。子供の方は無駄に体格だけよく身長が僕の中学一年生の愚弟と同じくらいだったが、声変わりをしていないことから、多分中学一年生とか小学六年生くらいだと思う。母親相手に鉄道にまつわる無駄な知識を披露する様は、かつての僕自身を思い出させるようでイライラした。停車するたびにいちいちウロウロ動くのにもイライラした。

発車の3分前、車掌による車内アナウンスが鳴る。「さいたま新都心駅での車両点検のため発車を見合わせております」。発車は結局5分遅れた。いつもの僕なら、日常の足の怠慢に怒(いか)っていたであろう。だが僕がいま座っているのは不愉快ないつものロングシートではない。いつも、常磐線でも、旅情を誘ってくれるクロスシートだ。旅には些細なハプニングがつきものである。

僕の向かい側に座ったのは、幼稚園に通う男の子だった――会話の内容からそう判断した。彼の母親が、僕の隣に座っていた。尾久の車両工場脇を過ぎる辺りで彼が鉄道知識を披露する様は、やはり幼い頃の僕自身を思い出させた――但し僕は自動車が好きな子供だった――が、幼稚園で貰ったとかいう福笑いを「フクラワイ」と舌足らずになっている様をも見るにつけ大変微笑ましかった。彼ら母子はその次の赤羽で降りてしまった。彼らは埼京線京浜東北線の住宅街に住む典型的な埼玉都民の一家だったに違いない――僕はそんな妄想をして長い旅程を楽しんだ。

宇都宮線は、大宮を越えると風景が変わってくる。高崎線との共用区間は高架だけであったが、列車はいつの間にか地上に降りているのである。駅も地上駅が殆どになる。車窓に流れる風景も、今までは遠くに高層ビルディングを望んでいたものが、枯れた一軒家と田畑と鴉たちになる。庭先で残り少ないこの年を惜しむように遊び尽くそうとする子供たちをも目の当たりにすることができる。踏切では列車の通過を待つ車列があった。モータリゼーションは田舎の象徴である。栗橋駅では、モータリゼーションに対抗するために、JR宇都宮線湘南新宿ライン)と東武宇都宮線相互直通運転を行うための渡り線路が既に完成していた。真新しい未使用の線路が、居並ぶする東武やJRのそれに挟まれて鈍色に輝いていた。

宇都宮線も、唯一茨城県内にある古河駅の前後から明らかに駅間距離が長くなってくる。いよいよもって郊外路線の景色が強くなってくる。にも拘らず、反対の上り線路を走るのも僕が現在乗車している、都心で見慣れた新型E231系というのは、何とも興が削がれる――こんな感覚は、茨城県取手駅東京地下鉄千代田線の代名詞とも言うべき6000系を見たときにも感じた。E231系の大概は、湘南新宿ラインで運用され、逗子方面に向かうのである。

15時14分、僕を乗せた列車は宇都宮駅に滑り込んだ。ここまで来ると、僕の鈍行乗車も、普段の移動ではない、旅行であるのだと思わされる。先にも述べた通り、この黒磯行き列車は、宇都宮駅で前5両が連結解放され、同時に乗務員の交換が行われる。そのため8分間同駅で停車する。その程度の時間では駅の階上に行って小用を足す暇もないが、せめて解結の様子程度は写真に収めてやろうと息巻いた。例の体格のいい少年も、僕同様にうろちょろしていた――僕は小学生と同程度のガキであるのか。まあいい。

8分間の宇都宮駅停車で驚かされるのは――昨年も同様のことで驚いたのだが――宇都宮線宇都宮駅発・新宿経由・横須賀線逗子駅行きという湘南新宿ラインの列車が、隣の上りホームで鎮座していることである。栃木県の県庁所在地から、神奈川県の端(はな)まで乗換なしという運用がある事実である。半蔵門線に対しても思ったが、いま確実に首都は拡大している、というのが地方出身者の実感だ。

切り離された後ろ5両には、宇都宮以遠に向かう前5両の客も乗ってきて、暫時の賑わいも見せた。しかし以降は乗客が減っていくばかりであった。例の少年は矢板で降りていった。長閑な田舎列車の気色はますます強まっていく。僕の前に座っている中年の夫婦連れが、通路を挟んだ隣のクロスシートに座る老婦人と二、三言言葉を交わしているのを僕はイヤホンから音楽を聴きながら見ていた。山手線ではこんな光景は見られまい。この辺りが宇都宮線東北本線の境界だからであろう。しかし、改札口に設置されたSuica用のタッチセンサーを見るにつけ、やはり宇都宮線であって、東北本線ではない、ここはまだ首都圏なのであることを強く意識させられた。ただ、車窓には曇り空とモノカラーの田舎風景だけが流れるだけだった。高層住宅は最早ない。

16時13分、僕たちを乗せたE231系黒磯駅1番線ホームに到着する。去年ここで乗換をしたときは雪が結構積もっていて「ここはどこの雪国」だと思ったりしたものだが、今年はさして積もってもいなかった。せいぜい北方遠来の貨物車の頭に冠雪が残っているぐらい。それでも尚、最早関東平野ではない黒磯の寒さには年末の物寂しさを感じさせられた。しかしここにもSuica改札はあった。

郡山行きの電車が来るまで30分弱、僕は途中下車をして駅構内外を少しだけうろついた。駅舎は大きいのに、駅前は随分寂れているなと思った。しかし電車の行き先案内板を見ると「宇都宮・上野・新宿・横浜方面」などと書かれているのであるから、宇都宮線スノビズムには笑わされてしまう。ここは東北本線の直流電車の北限、黒磯である。

僕はニューデイズでチョコレートを買って郡山行き電車に乗り込んだ。田舎電車のくせにロングシートなのには頭に来た(本稿は06年1月15日〔日〕に掲載された)。


参考ウェブサイト
宇都宮線のページ