Wissenschaft als Beruf

私は最近とみに「君は学者肌だ」だとか「お前は学者に向いている」と言われることがあります。確かに私は学部卒業後は大学院に進学して、そしてゆくゆくは大学に教員として就職したいと思っています。なので、そのように言われることは嬉しく思っています。

しかし、同時に私は疑問を感じてしまうのです。本当に私は彼らの言うように学者(=研究者)に向いているのでしょうか。実は、私自身は自分自身を研究者には向いていないように思っているのです。

もしかすると私は教員には向いているかもしれません。私は人に物を教えるのは嫌いではありません。だから、という訳ではないのですが、私は中学高校の英語と独語の教員免許を取得予定です。同様に「大学教員」には向いているかもしれません。

彼らは、私が「大学院に行きたい」と常々言っているから、私を「学者に向いている」と思い込んでいるのではないでしょうか。或いは、私が読書好きで、多少難しい本を少しだけ読んでいるから、彼らはそのように思うのではないでしょうか。もし私の日々の発言がいかにも学術的だと言えるのなら、それは前述のように読書から得た知識をひけらかしているだけであって、それが即ち「学者肌である」とは思えないのです。

例えば私は、専門である文学、とりわけ哲学や思想の分野で何か新機軸を打ち出せる自信も目論見も全くありません。20歳代の後半には既に一流どころと肩を並べていた浅田彰東浩紀のようになる自信は全くありません。また彼らを若い頃から後押ししていた柄谷行人のようなコネクションを持っている訳でもありません――私自身に浅田や東のような才能がないので当然ですが。

先日は私は「『いち独語教師』を貫くのも悪くない」と申し上げました。それは換言すると、いわゆる「教養科目」の教員に徹するのも悪くないということです。私が最近、外国語教授法に関心があって勉強しているのも、そういった展望を目論んでのことです。また、特に独語教授法は日本では研究が進んでいないので、そのようにして大学業界に潜り込もうという企みもあります。

そもそも私が大学教員になりたいと思ったのは、趣味に準ずることを仕事にできて、且つ休みが多く、そして高給が得られ、更に世間的に地位も高いからです*1。「何を甘いことを」と叱られるのは承知の上ですが、それは安定志向の故に公務員を志望する学生と大差ないと考えれば、私も他愛のない大学3年生でしかありません。

しかし少子化に伴う学生数の減少から、大学教員の枠もどんどん小さくなっていっています。また「教養教員」は、文部省(当時)による「教養部解体」に見られるような教養科目の切り捨てから、非常に厳しい状況にあると言えます――私は独語ですが、首都大学東京を設置している石原慎太郎東京都知事は仏語がお嫌いなようですね?*2 私は先日ある社会学の教員と酒を飲みましたが、彼にも「英語さえできればいい」と言われ、ちょっと頭にきました……が、それが現実なのかもしれません。社会学専攻の非常勤講師からは教員採用公募に100連敗以上している話を聞いてしまい、本気で怖くなってもいます。

だから私は、現在大真面目に進学か就職かを悩んでいます。ただ幸か不幸か私は浪人することなく大学に進学できましたから、1、2年大学院で勉強しても「新卒」で就職することはできるのですが。しかし、一般企業に「就職」はしたくないのです。安月給で扱き使われ、でもいざとなったら会社という「全体」の都合で容易に解雇されるという終身雇用制度が崩壊しきった現状です――私はどうして「みんな」がそんなに「就職」したがるのか甚だ疑問です。だから私は「就職」したくない――その逃げの方法論として「進学」したいのです。

しかし、上述の社会学者も似たようなことを言っていましたが、就職先としての「大学」こそ伏魔殿のようなところです。仲正昌樹が自身の勤務校である金沢大学法学部の教授会を散々批判する(というか、貶す)のもよくわかります。著書も論文もなく、私のような学部生から見ても大した研究者ではない教養教員の独文学者に限って、学内政治に狂奔していたりします。そのような実体を知れば知るほど「就職先としての大学」に幻滅します。

「職業としての学問」――"Wissenschaft als Beruf"と題されたマックス・ヴェーバーの著書の邦題でもありますが――に私は理想を抱いていました。しかしホンネとタテマエを使い分ける「学者」という名の大学教員、研究だけではなく教育活動すらマトモにできない「教育者」としての大学教員、本懐を失い、欲望を貪りつづける「政治屋」としての大学教員に私はなりたくありません。

もし私が唯一「学者肌」を自称できるとしたら、こうした問題意識の高さ、それだけだと思います。それ故にこそ私は大学教員になれないかもしれないし、ならないかもしれません。

*1:鷲田小彌太『大学教授になる方法』1995年、PHP文庫 isbn:4569567452 『大学教授になる方法・実践編』1995年、PHP文庫 isbn:4569567711 を参照。

*2:こちらの2005年7月15日付「フランス語について」を参照。