高校生に読んでほしい1冊

暫く更新を停止していて申し訳ありませんでした。今年の4〜7月は公私に渡って死ぬほど忙しく、マトモな文章を書いている暇などあり得ませんでした。詳細はのちほど述べたいと思いますが、今回は「プレ復活」と題して、或る本の書評を記したいと思います。

と言っても、以下に記される文章は、元々私が「憲法」の講義で提出したレポートの転載です(文体が常体に突然変わるのは、そのためです)。それを執筆するにあたって私が題材とした1冊が、『所沢高校の730日』*1です。

特に地方の進学校では「自由な校風」を売りにしたところが多く、私の母校である福島県安積高校も同様でした。しかし所沢高校生の意識の高さは、少なくとも私の知っている安積高校生のそれを遥かに上回っていると思います。

同書に描かれているのは、「日の丸・君が代」を校長や教育委員会という「権力体」から強制される危険に迫った当時の所沢高校生の、「自由であるための戦い」です。いま「学習指導要領」という憲法より強い権力を持つ虎の巻によって「愛国心」を植え付けられつつある若い生徒にこそ知られるべきだと痛感します。


昨年秋の園遊会(2004年10月28日)で東京都教育委員会(都教委)委員の米長邦雄(元将棋棋士)が、今上天皇を目の前にしてこう言った。「日本中の学校に国旗を揚げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」。それに対して、国家で謳われている天皇本人はこう言った。「強制でないことが望ましいですね」(米長と天皇のやりとりは、朝日新聞のウェブサイト04年10月29日付の記事から引用)。

天皇のこの発言は、同じく04年3月に都教委が卒業式での「君が代」斉唱に起立しなかったことなどを理由に都教職員200人近くを処分したことを受けていることは明白である。しかし「日の丸・君が代」問題で初めて大量の処分者が出されたのがこの一件であったために昨年は話題ともなったが、同様の議論は以前から絶えることはなかった。強いて違いを記せば、99年に国旗国歌法が施行され、「日の丸」が国旗、「君が代」が国歌と規定されたが、同法の成立以後、「日の丸・君が代」の「強制」は勢いを増しているように、私の目には映っている。

98年から99年にかけて埼玉県立所沢高校で起こった「日の丸・君が代」問題は、初めて生徒たち自身が当事者として問題提起に立ち上がった事案として、特筆すべきものに当たるのではないだろうか。とはいえ、当時の私は中学2年生から3年生であり、おまけに遠く福島県に住んでいたので、マスコミで報じられていたことを薄っすら記憶しているに過ぎなかった。しかし当時高校1〜2年生で埼玉県に住んでいた知人は、『所沢高校の730日』の責任編集者である淡路智典さん(所沢高校の元生徒会長)の「活躍」がテレビで放映されていたことを強烈に覚えているという。

話を、先に述べた秋の園遊会に戻そう。日本国憲法の理念に照らせば、今上天皇の言っていることが全く正しい。私たちには「思想・信条の自由」があり、日本国憲法はそれを保障している。米長が日の丸・君が代を是と思うこと、天皇が日の丸・君が代を否と思うこと、それらは日本に在れば各人に認められるのである。認められないのは、他者に何かを強制することである。それは身体的な事柄にせよ、精神的な事柄にせよ、同様である。

では米長が依拠する「強制の正当化」の根拠は何か。それは間違いなく前述の国旗国歌法であろう。但し、より正確を期して記すならば、米長ら都教委もその上役である石原慎太郎都知事も、自分たちの行為が「強制」であると微塵も疑ってはいないはずだ。米長のウェブサイトにある彼自身の日記を見る限り、自分は教育に従事する聖職者であり、自分の高邁な精神は子どもたちに授けられて然るべきだという印象が伝わってくる。

しかしこの態度は、それだけで既に「強制」の色を濃く帯びている。恐らく教育社会学者の内藤朝雄は「中間集団全体主義」であると批判するだろう。おまけに米長ら教育に携わる行政者は、その仕事をしやすくするために法律や学習指導要領を自らの恣意的に操作したのである。国家などの上部権力を盾にした施策はもはや全体主義ファシズムのそれである。法律を実際に運用する者たちに一切の「強制」意図が仮になかったとしても、「『日の丸・君が代』を否とする」人たちを処分したことは、やはり意図的ではない(誰かには意図があったに違いないのだろうが)「強制」の思惑が働いていたことの証左である。

ヨーロッパ思想史の研究者、高橋順一ナチス・ドイツユダヤ人大虐殺がどうして、どのように働いたのかを以下のように分析する。

周知のように[アドルフ・]アイヒマンユダヤ人問題の実質的な責任者]はイェルサレムにおける裁判の過程で一貫してアウシュビッツの虐殺に対する彼個人の責任を認めようとしなかった。「上からの命令」に従うことの絶対性というのがつねにアイヒマンのいう責任の不在の根拠であり、それ以上に彼自身の行動原理であった。そしてそれ以上にアイヒマンの凡庸さであった。

高橋順一『痛みと悼みの記憶 紀行「アウシュビッツを旅して」』(17)〔2004年図書新聞に連載〕[ ]は引用者の補足)

同じ態度は、所沢高校生に「日の丸・君が代」を強制しようとした同校の元校長の態度にも見て取れる。彼は生徒たちの「『日の丸・君が代』拒否」決定を一存で覆した理由の説明を求められて「皆さんは強制と言うが、私は学習指導要領に則って指導している。学習指導要領に書いてあることを皆さんに指導するのは強制ではない」(淡路[1999]P.33、下線は引用者による)と言ったのである。文部科学省や埼玉県教育委員会という、元校長にとっては「上」が作った「学習指導要領」は即ち「上からの命令」である。

上述の下線部を以下のように言い換えてみよう。「上からの命令で言われたように皆さんに指導するのは強制ではない」。この発想に、実際の命令実行者である元校長の存在感は希薄であり、「強制ではない」とする責任逃れの最も大きな理由であろう。この元校長に、自身が権力体の一翼を担っているという自覚は恐らくないだろう。所沢高校の構図は「校長による」強制ではなかったかもしれないが、間違いなく「権力体による」強制ではあったのだ。

敢えて記すまでもないとは思うが、この問題は「強制」が最大の問題なのであって、何を強制されるかは、当座は二の次としておきたい。このことは淡路さんたち当時の所沢高校生も問題発生直後から明確に自覚している。さらにこの淡路さんは、昨年或るミニコミサークルの「都教員の大量処分問題」に関する取材を受けた(同紙には彼は現在大学院で憲法学を専攻しているとある)が、このインタビューでも同様の意見を示し、大量処分を「率直に言って常軌を逸している」と語っている。

それでも世間が「日の丸・君が代」を第一にクローズ・アップして語りたがるのは、いま日本の為政者たちが国民に「愛国心」を持たせたがっているからだ。また為政者たちもそのためには幼い子どものうちから教え込むのが簡単だと判断したから、学習指導要領に「日の丸・君が代」を盛り込み、それを強化するために国旗国歌法を用意したのだろう。また結局日本人は、評論家の大塚英志社会学者の大澤真幸が指摘するように、天皇が「好き」なのである。それは、右翼が直接的に天皇を賛美する方法は言うまでもなく、70年代の学生運動に見られる「天皇制を打破せよ!」というような連帯・団結の合い言葉には、「天皇が嫌い」という愛情表現が含まれる。それもまた否定的な「好き」の表現である。

では逆に問い返してみよう。なぜ私たちは「日の丸・君が代」をやらなければならないのだろうか。これに対して、日本国民万人に対して普遍的な解答は恐らく用意されていない。あるとしたら、それは権力者たちの恣意的にして根拠に欠けるご高説でしかない。

では、なぜ私たちは「日の丸・君が代」をやらなくてもよいのか。それは日本国の最高法規たる日本国憲法が「思想・信条の自由」を認めるからである。従って、やる自由もあるし、やらない自由もある。愛国心を持つ自由もあるし、持たない自由もある。私たちは、誰かからそれを強制される謂れはないのである。従って、日本国憲法に反する学習指導要領は、認められないのである。日本国憲法という前提が、「日の丸・君が代」をやらねばならないとする立場には絶対的に欠けているものである。

だが、実際問題として、強制は行われている。それは、誰もが憲法をタテマエとしか思っていないからではないか。そしてホンネは「上の命令は絶対に聞かなければならない」である。直接的な利害を考えるとき、私たちはより利益の大きい方を選ぶのである。そのとき、この国では天上にあるような最高法規よりも、卑近な「上」の顔色を窺う方が重要なのである。

そのような卑屈な例は、憲法学者西原博史*2自身が示している。彼は2001年に早稲田大学社会科学部の学生担当教務主任(当時)として、キャンパス内にあった部室の「強制」撤去に参与し、大学当局の施策に反対する学生たちを「強制的に」排除したのである*3。彼は憲法学者として「基本的人権の尊重を」謳うのはタテマエであり、大学教員として「学生の強制排除」を行うのはホンネである。

「自国の憲法を最重要視できない」即ち「自国に対して『愛国心』を抱けない」というアイロニカルな構図に気づいていないという権力者たちは、自分たちの無知さを露呈してしまっている(だから与党は憲法をしきりに改正したがるのかもしれない)。また憲法学者や学校長が自分の所属する組織の「上」の顔色を窺い、自己に責任が及ばない形であれば容赦なく「人権無視」「強制万歳」の大なたを振るうのである。これもまた、この国とこの国の憲法を取り巻くアイロニカルな状況を示している。


『所沢高校の730日』には後書きとして、同書発行人の篠田博之氏(月刊誌『創』編集長)が以下のように記しています。

五月には出版する予定だった本書が結局、夏の発売になった。本を出すと聞いた友人たちに「そんなことをしててお前はもう一浪するつもりなのか」と冗談まじりに言われている淡路君が、来年はぜひ大学に合格することを最後に祈りたい。

(淡路[1999]P.230より引用)

余計なお世話かもしれませんが、淡路さんは同書出版の翌年(2000年)に無事大学合格を果たしています。そして大学院に進み、憲法学を専攻しているのは前述の通りです。前述のミニコミでは自身の現在の興味関心について「国家がなにをやり、何をやってはいけないか、結局は高校でやってきたことの延長といった感じですね(笑)」と語っています。

私は、或る人が何かを語るとき、その「或る人」はどういう人であるか、どういうバックボーンを持っているかを重要視します。例えば、憲法を語る人が、これまでどのように憲法と関わってきたかが問題だと思うのです。まして上述の西原のようなタテマエばかりの憲法学者と対比して見たとき、淡路さんの態度は一層光って見えると思うのです。

また淡路さんが同書を浪人の受験勉強中に執筆したことも特筆に値すると思います。それでも翌年に合格を果たした*4ことは、「部活が忙しくて勉強できない」と嘆く高校3年生に勇気を与えるでしょう。

*1:創出版、1999年 isbn:4924718319

*2:著書に『学校が「愛国心」を教えるとき』日本評論社、2003年 isbn:4535583633 など。

*3:こちらの「◎ −2001年8月10日早朝の強制排除弾劾!!」という箇所を参照。

*4:彼は早稲田大学社会科学部こちらを参照。「社会学部」は「社会科学部」の誤りだと思われます)に入学したそうです。