我がルーツを探る(OUT OF MY TREE)

今、イギリス出身のギタリスト兼ヴォーカリストであり、これまでTHIN LIZZYWHITE SNAKEなどの有名バンドでも演奏していたジョン・サイクスを中心としたハードロック・バンド、SYKESのアルバムCD『20TH CENTURY』*1を聴きながら、本稿を執筆している。今日友人から借りてきたものである。中でも同アルバムの9曲目"CAUTIONARY WARNING"が私にはとても感慨深い。実は、同曲を初めて聴いたのはもう6年も前の1999年であった。私はまだ中学3年であった。

私がハード・ロック(HR)やヘヴィ・メタル(HM)音楽を愛聴していることは、折に触れて述べてきた通りである。しかし生まれたときから、気がついたらHR/HMを聴いていたという訳ではない。一応自覚しているきっかけがあって、それは高校受験期の中学3年時に、B'zのCDを中古で買い漁って聴きまくったところに端を発している。それは確か夏休みも終わった秋以降のことだったと思う。

さて、SYKESの"CAUTIONARY WARNING"は発表されたのは97年であるが、日本のあるテレビ番組で使用されていたのが99年だった。私はこの番組を見ていたことは覚えていたが、それがいつのことだったかは、今月号(05年2月号)のBURRN!誌を読むまで失念していた。ただしかし、妙に印象的な楽曲で、スタッフロールに紹介される英語の楽曲名とバンド名を、中学3年生だった私は苦労しながら読んでいた記憶がある。

そこから私が洋楽に目覚めるには、またしばしの時間を要する。伯父からDEEP PURPLEベスト・アルバム『DEEPEST PURPLE』*2を借りて聴き、洋楽にどっぷり浸かり出すのは高2の冬だから、01年のことである。ここでようやく、過去において印象的だった楽曲の存在を思い出すのである。

こん日はインターネットがかように発達した時代であり、情報収集に面倒なことはなかった。そうして、ジョン・サイクスは、DEEP PURPLE解散後のデイヴィッド・カヴァデール*3のバンドWHITE SNAKEでも活躍し、同バンドの最高傑作『WHITE SNAKE (SERPENS ALBUS)』*4に貢献していたことなどを知るのである。更に、ニュー・ウェイヴ・オヴ・ブリティッシュヘヴィメタルNWOBHM*5草創期に、IRON MAIDENら共にブームを牽引したTYGERS OF PANTANG*6が彼にとって最初のメジャー・バンドであったことを知ったのは最近のことだ。

とはいえ、私がようやくSYKES(それ以前はBLUE MURDER名義のバンドで活動。)のCDに食指を伸ばし始めたのは、昨年(04年)になってからのことである。私に『20TH CENTURY』を貸した友人は大学2年になって初めて知り合ったのだが、例の番組で使用された"CAUTIONARY WARNING"を聴くためだけに同盤を手に入れたという。さすが同世代。これもまた感慨深い。

こうして振り返ると、ジョン・サイクスというギタリストは私の音楽人生に要所要所で多大なる影響を与えているような気がする。中学3年の時に"CAUTIONARY WARNING"を聴いていなかったら、洋楽に浸かることはなかったかもしれない。「たられば」の話はしていても尽きないが、ともあれ私は中3時の懐かしさに浸りながらCDをリピート再生して聴いている。HARD ROCK save the SPACE!!(1842字)

*1:ASIN:B000007VQC

*2:ASIN:B000002KLV

*3:DEEP PURPLE3人目のヴォーカリスト。名曲"BURN"のメイン・ヴォーカルと歌詞は彼による。

*4:ASIN:B00005GB3W 87年発表で全米800万枚以上の売上を記録した。

*5:1970年代末から1980年代初頭にイギリスで勃興した、ヘヴィ・メタル音楽の流行。様々な新しいバンドが登場し、消えていった。有名なのは現在でも最前線で活躍するIRON MAIDENである。この辺は音楽評論家の伊藤政則が詳しい。

*6:アルバム2枚目『SPELLBOUND』より参加。同盤で同バンドはシーンの注目を集めることになった。