(大学受験生を応援⑯)センター試験まであと0日

平成17年度(2005年)センター試験が本日で終了しました。

受験生の皆さん、本当にお疲れ様でした。

セ試を受けていない受験生の皆さんも、今日までお疲れ様でした。

これから2月以降、私立大学や国公立大学の2次試験が始まりますが、これからが本番です。

これまで以上に気を引き締めて、頑張って下さい。


……と。


今、この文章をあなたが読んでいるということは、2004年9月18日付コラム『(大学受験生を応援①)センター試験まであと119日』(詳しくはこちら)をお読みになったということだろうか。即ちあなたも擬似的な時間旅行を経験したことになる。


この意味がわかるだろうか?


つまりあなたは、過去の『現在』から、未来の『現在』を擬似的に経験している。私は何も難しいことを言ってはいない。つまり、未来の自分自身を想像せよと言っているのである。ああなりたいと思った時、こうなりたくないと思った時、それを実現せよと言っているのである。


現実には時間旅行なんて不可能である。しかし、未来を空想する、考えることは可能である。未来を想像せよ。それが全ての『創造』のスタートである。


あなたは過去に戻ることは出来ない。しかし未来に進むことは出来る。前を向いて、粛々と前進せよ。


上記の引用文は、私が『大学受験生応援コラム』第1回と同時に、「私は今、第18回目のコラムを書き、平成17年1月16日付、つまりセンター試験2日目の日付として掲載しました」と、ほぼちょうど4ヶ月前に書いたものです。一体どのくらいの人がこの不可思議な「時間旅行」をお読み下さったかは存じません。しかし、本当に119日が経過してしまったのですね。


私は本稿を、16日に日付が変わってから2〜3時間後に掲載する予定ではいます*1。しかし、センター試験の2日目を終えて帰ってくる受験生諸氏が読まれるのは、恐らく夕方以降になるのではないでしょうか。


とにかく、お疲れ様でした。


このセンター試験というものは、浪人生ならともかく、ほとんどの現役生にとっては初めての入学試験の合否に直結する試験だと思います。それゆえ、どうしてもプレッシャーを感じてしまう人は少なからずいらっしゃってしまいます。また時期的にも風邪など体調を崩しやすい季節ですから、そのために不本意な結果に終わってしまう受験生もいます。


もっとも、これら失敗した人について私は、勿論慰めの言葉をかけようとは思いますけれども、同時にこうも思います。「あなた自身が原因だ」と。もちろん思うだけで、口に出せはしません。


前者のケースにおいては、「模試ではもっと点数がとれていた」と言い訳する人がいるでしょう。しかししょせん模試は模試です。過去問題を解いた方ならご存知だと思いますが、模試と本物はやはり何かが異なっています。この違いは、口ではうまく説明することができません。しかしこの微細な違いが違和感として現れ、プレッシャーがいちいち蓄積されていくのです。


後者のケースにおいても、体調管理は受験生の責務です。例えば、試験前にインフルエンザ・ウイルスが蔓延していそうな閉鎖空間に行く人が悪いのです*2。普段から手洗いうがいを励行していなかった人が悪いのです。これらは日本の入学試験が、9月試験を除けば1月下旬〜3月上旬という風邪の流行る時期であることを考慮すれば、対策方法は容易にわかるはずです。


ともあれ、センター試験から現実を見始めるのです。まだ遠い未来だと思われていた入学試験が、足音を立てて近づいてくるのです。センター試験はその最初の1歩でした。その1歩目からつまづいてしまった人は大勢いるのです。あるいは、夢を見続けていたかったが、強制的に現実に引き戻されてしまった人もいるでしょう。


どうですか、受験生の皆さん、受験は甘くないでしょう? 私ごときが今更偉そうに言うべきことでもありませんが、私自身が夢見がちな受験生だっただけに、同じ穴のムジナにはイヤミの1つも言ってみただけなのです。どうかお気を悪くしないで下さいね。


ですが、私はこうも言いたい。夢見がちでいいじゃないか。夢を見続けてもいいじゃないかと。


そもそも私がこの4ヶ月間このコラムで言い続けてきたことは「頑張れ」でした。つまり、行きたい大学に行くべきだということを申し上げてきたつもりです。志望校に進学することは、各人にとっての夢であるはずです。だから、第1歩目にけつまづいた程度で夢をあきらめるなと私は言いたい。


ここで容易に、また安易に志望校が変えられる人の気が私にはわかりません。そういう人は、本当にその大学に行きたい訳ではなかったのでしょう。私の高校の同期連中にも、多かれ少なかれ、いました。そういう非主体的な動機で進学を志望していた人が、私の批判対象であることは本コラムをご高覧頂き続けた方々にはおわかりのはずです。


大学も全入時代に突入して、「大学に入ることの意味」も変容してきたように感じています。もはや高校が義務教育化した昨今、大学はその上級学校、つまりかつての高校が担ってきた役割とイメージを与えられているように思われます。


しかし依然として「難関校」と呼ばれる大学は存在し、また大学卒業後の社会において、学歴で待遇が変わらないことの方が稀であるとすら言えます。今大学が高校化しているというのならば、それらの難関校は東京、仙台、京都、金沢、熊本、岡山、名古屋の各大学がかつて「一高」(東大)などと番号を冠した旧制高校ナンバースクールであったことと類似しているように思われます。つまり同じ高校群の中で、別格の高校が存在しているわけです。


規制緩和4年制大学は林立・乱立されていっています。また誰でも大学に入れる時代は既にやって来ているとも言われています。こういう時代だからこそ、東大出身者はより重宝されるのです。最近は早稲田や慶応義塾の学生ですら「就職できない」と嘆くようですが、彼らより遥かに悲惨な大学生はいると思います。


もっとも、私に言わせれば大学は就職のためだけのものではないと信じているので、別に就職に強かろうが弱かろうが、それは大学の魅力の全てを代弁するものではないと思います。大学の良し悪しを決める材料は、入学者の自己実現を叶えられるかどうかだと思います。つまり「やりたいことができるかどうか」ということです。だから入学者の1人が「俺は官僚になりたい」と思うのならば、大学はそれを叶えなければなりません。


以下、後ほど追記します。予想以上に長くなりそうです。

*1:実際は当日17時30分頃でした。

*2:私の母校である福島県安積高校で、まだセンター試験前の「決起大会」を旧本館において行っているなら、受験生たちに手洗いうがいを徹底させてほしい。