(大学受験生を応援⑪)クビ大には絶対行くな!

前回のコラムはこちら


本コラムをご覧の受験生の中で、来春開校される首都大学東京(以下「クビ大」)を第一志望としていらっしゃる方は、いらっしゃるでしょうか? あるいは、併願する方はいらっしゃるでしょうか?


いてもいなくても構いません。大学生としての純粋な良心から、私は申し上げます。クビ大には絶対行くな! 併願もするな。あんな大学に受験料収入を与えることすら無意味!


東京都立大学ほか4つの都立大学が統合されて開校されるクビ大は、もはや教育の場とは到底思えないほどに狂った理念・方針で動き出そうとしています。今回は私も語気を荒げて申しておりますが、これは本当に一切誇張じゃないですよ。何度でも繰り返し申し上げましょう。クビ大は大学としておかしい! 狂っている!


私が今夏帰省して高校の恩師に会ったとき、彼はこのクビ大問題についてピンときていなかったので、この問題に関心を寄せている高校生や浪人生がどの程度いるかは大体見当がついています。まして、東京の受験生なら地元の話題ですから知っているかもしれませんが、私の郷土・福島県の受験生は全く無知だと言っても過言ではないでしょう。


この問題が、いったいどのような問題かということを超簡単に要約すると「2年かけて大学と都の担当役人が考えた大学改革案を、東京都知事石原慎太郎とその側近役人が鶴の一声で破棄し、都知事側の案を通した」ということと「その都知事側案が『あまりにもムチャクチャ、大学としてどうか?』というもの」ということです。これはあまりにも暴力的な要約ですので、正確を期すためには後述する参考ウェブサイトをご覧いただきたいと思います。ですが問題の概略を把握するには問題ありません。


その異常事態をわかりやすく例えると、

  • 選挙公約の1つとして県立高校改革(「難関大学合格者を増やす!」)を掲げた私が県知事選挙に立候補し、対抗馬を大差(仮に100万票くらいの差だとして)で破ってトップ当選。
  • 「そういえば、開成・麻布・武蔵などの東京の1流進学校は全部別学校だなあ」と短絡的に発想した県知事の私は「安積、安積黎明、郡山、郡山東の各校を統合して2つの男女別学校を作る」と言い出す。
  • 「受験勉強は受験のプロが教えた方が効率的だ。大学予備校にアウトソーシングして予備校講師に授業をさせる。今までいた教師は全員クビ」と、またも短絡的な発言をする。
  • 至極当然反発があるも、100万票差の当選を背景に、半ば黙殺(表向きは「話し合いには応じる」と言うも、考えを変える気はない)。
  • 新しい高校の名前を公募するも、私は鶴の一声で全て無視。「『県立高校大安積』と『県立高校大安積女子』だ!」と決めてしまう。公募の理由は「県知事の命名の参考にするため」とあとから言い出す私こと県知事の腰ぎんちゃく役人。
  • 数学のできない私こと県知事は「数学なんて就職したら役にたたん。まして私立文系大学を受験するのにも役に立たない、つまらん学問だ」と放言。県内の数学者から当然反発を食らう。

大体こんな感じです。書いててちょっと面白かった(笑)。


都立各大学の赤字を解消するための「改革」だと石原は言います。ですがそれはていのいい「リストラ策」にほかなりません。すなわち、すぐには研究結果が目に見えて表れにくい文系学問の切り捨てです。その人員整理リストの最上位に位置しているのが都立大人文学部のようで、ポーカス博士こと都立大人文学部教授・岡本順治氏は自らのウェブサイトで徹底的な反対活動を行っていました。


私は自分自身が「就職の役に立たない」文学部の「最も就職に役立たない」思想・哲学を学んでいるので、同大人文学部によりいっそうシンパシーを感じるのかもしれません。しかし大学教育において最根幹の1つである語学を研究する人文学部を軽視し、あまつさえ切り捨てようとするクビ大と石原の姿勢は、やはり疑義を呈さざるを得ません。教育の場としての「大学としてどうか?」と前述したのはそういう理由です。


更に、私はもう1つ指摘したい重要なことがあります。クビ大学長予定者が誰だかご存知ですか? 元東北大学学長、現岩手大学学長・西澤潤一氏です。


彼は、私が確か高校2年の時に、私の母校である安積高校で講演を行い、当然私も彼の話を聴いています。全国の家庭で使われている八木アンテナの発明者・故八木秀次*1の孫弟子にあたる*2彼は、ウェブサイト『ウィキペディア』によると「“ミスター半導体”、“光通信の父”とも呼ばれ、独創的な研究で世界的に有名な半導体工学者である」とあり、そういった人物が東北の宮城県から、そして東北大から輩出されたことに純粋な高校生だった私は感慨を覚えながら講演を聴いていました。


ですが、純粋学問を破壊する石原ファシズムの片棒を担ぐ西澤に、私はもはや敬意を失しました。もはや再び敬意を抱くこともありえません。教育者としては当然失格で、「真理を探究し、知を愛する」知識人とも見なすことはできない。彼もしょせん出世欲に目がくらんだ、くだらない「大学政治屋でしかなかったということです。彼も石原と同罪です。


「都市教養学部って何ですか? そんな学問聞いたことがないならまだしも、想像すらいたしかねます。従来都立大にあった人文・法・経済・理・工の5学部を押し込めて、理系の学生も「都市教養学・学士」文系の学生も「都市教養学・学士」。この辺に石原の「右脳的」手法の齟齬が生じているのです。現在在籍する都立大生も、これから入学する新入生も、都立大に入りたかったがクビ大になるので敬遠した受験生も、みんなかわいそうで仕方がない。同じ大学生として非常な同情の念を禁じ得ません。


私の友人にこういう人がいます。彼は現在早稲田大学第一文学部に通っているのですが、東京都民で現在も調布に住んでいる彼は、第一志望は東京都立大でした。公立大学なので当然ですが、都民ならば学費が非都民よりも安くなるのです。通うのにも、調布在住の彼は新宿区の早稲田に通うより南大沢に通う方が、電車も1本で近いのです。しかし彼は「都立大はなくなるし、新大学は評判悪くて不安定だし」と早稲田大に入学しました。彼は都立大も合格していたのです。また彼の友人は、都立大に入学しつつも、1年間仮面浪人して今春他大へ再入学したそうです。理由は彼と同様のようです。


合格者にこういった非学問的な理由で入学校を選択させる大学は、やはり首肯できません。まして彼らは都民であり、クビ大は都立大学なのです。都民にサーヴィスを還元できない都立大学のあり方に疑問です。


私は都立大生ではないし、知人もないので、彼らがクビ大についてどのような感情を抱いているのか計りかねます。しかし、普通に考えれば許容できる構想であるはずかありません。少なくとも私が当事者の学生ならば、我慢できない。


私は反対派の教員と学生でストライキを決行すべきではないかと考えます。人文学部教授会が反対しているならば、人文学部が音頭を取って、あるいはせめて同学部だけでも実力行使に出るべきではないでしょうか。プロ野球球団ですらストは決行できるのです。いわんや大学でできないはずがありません。


しかしインターネット上のある匿名掲示板においては、都立大生を自称する書き込み者たちは、前述の岡本順治氏を誹謗中傷するばかりで、行動を起こそうとする気配は感じさせません。「愚か」であることは「脆弱」であることに等しいですが、もしかして都立大生の大多数は現状の認識力に乏しいのでしょうか。


1人ひとりは弱い者たちが権力者に楯突くためには、連帯して共闘するしかないのです。こう書くとなんだかセクトっぽくて嫌なのですが、結局はそれしかないのです。都立大のおかれた状況は、学生運動もたけなわの70年代のそれよりはるかに劣悪です。「暴君」=『空疎な小皇帝』*3の圧制に虐げられるという構図は、現代社会においては人権侵害以外の何ものでもないのです。


石原の「空疎」ということに関しては、ナチス・ドイツ政権化でアドルフ・ヒトラーの片腕として働き、ユダヤ人虐殺に深く荷担したアドルフ・アイヒマンの「平凡さ」と重なります。早稲田大学教授・高橋順一氏は以下のように言います。

周知のようにアイヒマンイェルサレムにおける裁判の過程で一貫してアウシュビッツの虐殺に対する彼個人の責任を認めようとしなかった。「上からの命令」に従うことの絶対性というのがつねにアイヒマンのいう責任の不在の根拠であり、それ以上に彼自身の行動原理であった。そしてそれ以上にアイヒマンの凡庸さであった。

(中略)

ただここに20世紀の根源現象としての全体主義の性格、メカニズムとしての問題が隠されていることは確かである。ヒトラーにせよムッソリーニにせよ、昭和天皇にせよ東条英機にせよ、一見華々しさを負いながら本質的に凡庸さと貧相くささをまぬかれてはいない。つまりこの凡庸さと貧寒は全体主義の本質要素としてむしろ考えるべきであるということなのだ。

高橋順一『痛みと悼みの記憶 紀行「アウシュビッツを旅して」』〔『図書新聞』連載中〕より引用)

石原都政はもはやファシズムやナチズムと呼ばれてしかるべき、暴力的な全体主義のそれであると言い切ってしまっても差し支えはないでしょう。ナチスが標榜した国粋主義にも、石原都政の蛮行には通じるところがあります。それは、10月28日秋の園遊会において、棋士で東京都教育委員会委員の米長邦雄が「日本中の学校に国旗を揚げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と今上天皇を目の前にして挨拶したとき、あろうことかその天皇に「強制でないことが望ましいですね」とたしなめられることにも窺えます。


今年3月、東京都教育委員会(以下「都教委」)は卒業式での「君が代」斉唱に起立しなかったことなどを理由に都内の教職員196人を処分しました。米長発言はそれを受けてのものです。こん日アメリカを中心に全世界レヴェルで横行する「グローバル・ファシズム」に対して「日本も例外ではない」と前述の高橋氏も指摘しています。すなわち「ある面において戦後民主主義のもっとも正統的な嫡子としての精神の持ち主である天皇に東京都教育委員会の一人である某米長〔前述の米長邦雄のこと〕がはっきりとたしなめられたほどに全体主義そのものだ」(『痛みと悼みの記憶』より引用。〔 〕内は引用者の補足)。


このような狂った石原都政と、狂った都教委に管轄されているクビ大はもはや教育と研究の場ではありえません。こうしたファシズムを展開する石原を断罪することは別の機会にすべきとしても、ともかくはまずクビ大を是正しなければなりません。しかし狂気は狂気ゆえにこそ強固であるため、しばらく時間がかかりそうです。つまり賢明な受験生は「教育と研究の場であらぬ」クビ大を徹底的に敬遠すべきだということです。


私は無責任ですがラディカルに、学生不足に陥っていっそ潰れてしまえばいいとも思っています。あのような「大学であらぬ」大学は無意味です。実質的には大学全入時代に突入した現在、既知の通り受験生とて無知ではありません。「クソ大学」には行きたいと思うわけはないのです。それは大学予備校各校の調査で明らかになった、予想される首都大学東京の合格平均偏差値急落にも表れているでしょう(私は具体的な数字を把握していないので、ご存知の方はぜひご教示ください)。


さて、前々回紹介した、大学改革を提唱する法政大学教授・川成洋氏は東京都立大学大学院の出身です。改革派の川成氏も、さすがに母校におけるこの「改悪」を是とはしないでしょう。クビ大に関する発言も川成氏にはぜひ期待したいと思います。(5810字)

  • 参考リンク
首大首都大学東京)非就任の会
http://www.kubidai.com/
都立大の危機 FAQ 廃校 or 改革 ?(岡本順治氏のサイト)
http://www.bcomp.metro-u.ac.jp/~jok/kiki.html
学問の自由と大学の自治の危機問題
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/page047.html


(追記①)こちらで本稿に言及されています(そのせいでカウンタのペースが上がったのでしょうか)。確かに私は「頓珍漢の部外者」ですが、インターネットの匿名性という蓑に隠れた当事者よりは、より正当性のある発言をしている「頓珍漢の部外者」だと思います。もし私と、私が援用した岡本氏の発言に誤認があるのであれば、それを客観的に、正確に批判して頂きたいと思います。そうすれば、私のような部外者に立ち入る術はないでしょう。


あと「何が70年代だよ、ストだよ。それが何を生み出したか。 少しは頭使って考えてくれ」という発言に反論しておきたいと思います。もちろん、学生運動の終末が、セクト間の抗争は泥沼化し、早稲田大学では殺人事件にまで発展したことは知っています(川口君事件)。また東京大学では入学試験がなくなった年もありました。それらは度しがたい負の事件でした。しかし私が注目したいのは、なぜ学生運動が高まっていったかという「動機」です。当時の彼らは大学において自らが「主体」であると自認していました。ゆえに、自分達にとって最良でない大学の環境、学問環境を「主体的に」改善しようとしたのです。


では教員(特に反対派にとっては)や学生に劣悪な学問環境を強いる首都大学東京当局に対して、不満を抱きつつも物言わず我慢するという態度は、果たして30年前の運動を繰り広げた学生たちと同じく「主体的」であると言えるでしょうか。嫌なことに屈するという姿勢は、非人間的である、動物化していると言えるのではないでしょうか。私がそういった人々に対して批判的なのは、過去の記事を遡ってご覧頂ければわかるかと思います。まあ、新大学構想に100%満足しているのであれば、私の批判は甚だ的外れということになりますので、ご指摘頂きたい。「少しは頭使って考えてくれ」。私もこのような言論活動を一朝一夕の酔狂で行っているわけではないので、どうかご理解ください。(以上、追記①)


(追記②)クビ大は『英語授業の半分外注 初年度は「丸投げ」』だそうです。以下に新聞記事を引用します。匿名掲示板の参加者が何と仰ろうと気にはなりませんが、独、仏、中などの第2外国語はおろか第1外国語である英語の教育すらおろそかになりかねない体制を敷くとは、都教育長の進退問題、ひいては都知事の資質を問われても全くおかしくない状況だと私は思います。現都立大の学生は、こんな大学でいいんですか。自分たちの後輩がこういった(経営者が)カンチガイしている大学に入学してくることに何の感情も湧いてこないのでしょうか。

asahi.com首都大学東京、英語授業の半分外注 初年度は「丸投げ」』*4

東京都立大学など4大学が統合して来春開校する「首都大学東京」が、英語の必修授業の半分を民間の英会話学校に委託することを決めた。「ネイティブスピーカー」の授業を目玉にする狙いだが、職業安定法の規定で派遣講師と授業内容を打ち合わせることもできず、初年度は教材を含めてほとんど「丸投げ」になる。現場からは「教育に責任が持てない」との声も出ている。

外部委託するのは、1年生の75クラスで週2コマ行う「実践英語」の1コマ。5社が参加したコンペで「ベルリッツ・ジャパン」に内定した。自己紹介などができる会話力と、Eメールなどが書ける作文力をめざす。

ところが、大学が委託先から派遣された講師を直接指揮・命令すると、職業安定法で違反とされる「労働者の供給事業」に当たることが分かった。このため、都と大学は派遣講師に履歴書の提示を求めず、面接もしないことを決めた。日常の打ち合わせもせず、控室も大学側の教員とは別にする。「助言でも違法になりかねない」という。

都の業務委託では、庁舎の清掃や警備などのほか、サービス部門で旅券の申請・交付業務があるが、単純作業に限っており、職安法に触れる心配はほとんどない。だが、学生の要望や学力に沿ってきめ細かな対応が必要な大学の授業は、状況が異なる。契約では学生からの質問も授業後1時間に限られ、それを超える対応を求めると法に抵触する。

担当教員の一人は「授業を丸ごと任せる業務委託では大学として内容に責任を持てない。ネイティブの講師を大学が公募するなどの改善が必要だ」と話す。

カリキュラムや教材は共同開発する方針だが、開学まで約3カ月しかなく、ベルリッツのノウハウを土台に多少の注文をつける程度になる。

首都大学東京の母体となる都立の4大学に英語教員は約40人いるが、大半は日本人だ。4大学が作った改革構想ではネイティブスピーカーを大学が採用する構想だった。

しかし、石原慎太郎都知事の号令で昨年夏、4大学の廃止と首都大学東京の創設が決まり、教員削減方針の一環で外注案が示された。

英語教育に外部委託を導入した大学は、慶応大湘南藤沢キャンパスなどがある。同キャンパスでは英語力の低い学生の力を引き上げる授業を委託したが、教材やカリキュラムは専任教員が10年以上かけて開発したものを活用している。

都立大の関係者によると、首都大学東京ほどの規模で外部委託するのは異例という。 (12/22 03:01)


また質問のあった都立大助教授・宮台真司氏の動向についてですが、匿名掲示板では同志社大学に移籍するという話も出ていますが、真偽はともかく早晩都立大(クビ大)は退職すると思います。宮台氏は内藤朝雄*5藤井誠二*6との共著『学校が自由になる日』*7において以下のように述べています。「いまも都立大学にいますが、都立大学に赴任したその週に茶髪にしました。それは、自分は都立大学に心まで属したくないと思ったからです。『組織上は属しているのだけれど、心までは属していないぞ』、そういう表明をするために茶髪にしたわけです」(P.143)。同書は日本の学校問題についてかなり深い洞察と批判を加えた内容です。そういう本の著者が、クビ大のような大学にい続けるわけはないでしょう*8。(以上、追記②)

To be continued to 20041211......

(04年12月21日 追記①、12月22日 追記②)

*1:元東北帝国大教授、東京工業大学学長、大阪帝国大学学長。

*2:詳細は忘れましたが、西澤の師匠が八木氏の弟子だったと記憶しています。

*3:ジャーナリスト・斉藤貴男氏の著作に同名のものがあります(岩波書店刊)。isbn:4000226096

*4:http://www.asahi.com/national/update/1222/003.htmlより引用(09年2月12日現在、確認不可)。

*5:社会学者。東京大学出身。明治大学専任講師。

*6:フリージャーナリスト。学校問題、少年犯罪に関する著書多数。

*7:雲母書房刊。isbn:4876721041

*8:但し、大概の大学教員はホンネとタテマエの使い方が上手いです。