偉大なる哲学者の死に捧ぐ

フランスの哲学者、ジャック・デリダが亡くなった。デリダに関する詳しい説明ははてなダイアリー自動リンクに任せるとしても、私はこの偉大なる仏哲学者の死に驚きを隠せなかった。

私はデリダの著作を読んだことはない。しかし私の界隈は読書家、とりわけ勉強家が多く、会話の端々にこのデリダジャン・ボードリヤールといった固有名詞を頻出させ、不勉強な私を何度も困惑させるのだった。「デリダ読んだことある?」という問いは、学部2年生には酷な質問だと、私が第三者ならば思うものの、「いや、無いです」と屈辱的な解答を返さざるを得なかった。

私が思想や哲学に興味を持ち出したのは正に今、正確に言えば今年の夏季休業に入る直前の頃である。漁るように読み出した『哲学書思想書の入門書』に、やっとこれらの人名が登場してきたところである。私がお目にかかりたい人物として名を挙げたスタイナーやボードリヤールは、今年になってやっと出会った人名である。

尤もボードリヤールに関しては、初めてその名を耳にしたのは、丁度昨年の今頃である。早稲田大学教授・塚原史氏が招聘し、同大学で講演会が催されたのだった。当時の私にとっては「誰それ?」という感じだったが、聴講した先輩は「凄かったね」と感慨深げだった。勿論、この次回は何時とも知れない絶好の機会を逃したことを後悔したのは、最近のことである。

今年になってから特に顕著であるが、私は機会があれば可能な限り出会いを広げるように心がけてきた。また、会ってみたいと思う学者や著述家を多く見つけるようにもしてきた。今最も興味のある哲学や思想の分野にいる人たちの名前が多いのは自然の摂理である。存命の中では白眉であった哲学者の1人、デリダが亡くなったことは、即ち貴重な出会いが1つ失われたことである。著作を読めば彼の思想を得ることは出来るだろう。しかし実際に会ってその声から得ることには絶対に遠く及ばない。

今更遅蒔きながら、これからデリダを読もうと思う。悲しいかな、或いは喜ばしいかな、著述家の魂はその著述の中に永遠に生き続けているのである。私はこれからジャック・デリダに出会う。R.I.P.(896字)

(追記1)仏文学者で文芸評論家の陣野俊史氏も今日(10/12)の講義中(陣野氏は私の大学に非常勤教員として勤務している)に「デリダの死を聞いて泣いた」と語っていた。私は独文なので多少縁遠い感もあったが、やはり仏文の研究者には押し並べて影響力を持っていたのだろう。陣野氏は「ご冥福をお祈りします」と故人を偲んだ。因みに陣野氏は「残る大物哲学者はハーバーマスだけだ」と語り、調べてみるとハーバーマスは私の領域であるドイツ哲学とのこと。尚更触手を伸ばさないわけにはいかないと、私は妙な義務感に襲われている、というのは全くの余談である。

(追記2)私が書いたこのデリダに関する文章が、意外なところ(といっても、未見のはてなダイアリーであったが)でリンクされていた。リンクした本人は「まず自分じゃ見ないだろうサイト」と語ってはいるが。

(追記4)追記1に記した独哲学者、ユルゲン・ハーバーマスがなんと来日することになった(詳しくは追記5のリンク参照)。実は以前から知っていたのだが、知人のサイトに掲載されたので、当コラムでも記すことにする。ハーバーマス氏が第20回京都賞を受賞したためであるが、記念講演をするのは当然京都。日程は11/11(木)、12(金)。出来れば行きたいのだが、遠い。また京都に知人もないので、宿にも困る。しかしこの機会を逃したくもないので、今本気で悩んでいる。ボードリヤールのように東京にもくればいいのに。

asahi.com『仏哲学者のジャック・デリダさん死去』
http://www.asahi.com/obituaries/update/1010/001.html
PENSEE DE DIEU
http://sc.gaiax.com/user/sc/a/r/agrippa/main.html(09年2月12日現在、確認不可)
(追記3)MSN-mainichi INTRACTIVE 訃報『ジャック・デリダ氏 74歳 死去=哲学者』
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/fu/archive/news/2004/10/10/20041010ddm041060094000c.html(東大教授・高橋哲哉氏の話も)(09年2月12日現在、確認不可)
(追記5)財団法人稲盛財団『第20回(2004)京都賞受賞者決定』
http://www.inamori-f.or.jp/hottopics/japanese/hottopics_20kp.html(09年2月12日現在、確認不可)

04年10月13日 追記1、2、10月17日 追記3、10月21日 追記4、5、一部訂正