(大学受験生を応援③)なぜ第一志望に行かねばならないか

前回の受験生応援コラムはこちら


まず懺悔させて下さい。前回「日曜日には確実に掲載されているように心がけいたします」と申し上げたばかりなのに、今度は月曜日まで延びてしまって、己の不義理加減を嘆くばかりでございます。ただ1つ言い訳をさせて頂くならば、本稿が約4000字ございまして、大学のレポート(今日10/4締切)も約2300字あり、更に当コラムに掲載予定の別原稿が約6300字(しかも未完成)で、延べ約13000字も、金曜深夜から現在日曜深夜に至るまで、ひたすら書き続けておりました。綿矢りさ蹴りたい背中』(河出書房新社)が約77000字(筆者調べ)ですから、その約1/6を2日間で書いていたということであります。


とにかく、忙しかったとご理解ください。(ToT)


前回の次回予告で「それら(偏差値)の有効活用方をお話ししたいと思います」と申し上げましたが、予定を変更いたしまして、表題のことについてお話ししたいと思います。……まあ以前から「予定は未定」*1と申すものでございまして、ましてこの雑記は『日々徒然』と題されておりますので、兼好法師の言を借りるまでもなく「硯に向かひて、心に映るよしなしごとを、そこはかとなく」*2書き尽くしておりますので、まあそんなことも、今後も多分にあるものとご容赦くださいませ。偏差値の活用法は次回に回したいと思います。


さらに恐縮ながら、今回は年寄りの説教かつ自慢話と受け止められかねないエピソードを多分に含む可能性がございます(書いてみないとわからないのですが)。しかし若い受験生諸氏におかれましては、「年寄りはエラソーに説教とか自慢話とか好きだからナア」と呆れ半分でお読み頂ければ、年寄りとしては気楽に筆を進めることができますので、よしなにお願い申し上げます。


現役受験生はしばしば「受かった大学に行くよ。浪人できないし、したくないし」と気楽に言います。つまり本命から合格安全圏の大学を一通り受けて、合格した大学のうち、自分の中で順位の高いところに入学するよ、ということでしょう。無知とは甚だ恐ろしいもので、恥ずかしながら、私もそんなことを放言していた受験生の一人でした。


しかし、例えば私にとっては妥協の産物で入学した大学だとしても、他の学生の中には十二分に精一杯努力を重ねて栄光を手にし、その大学に入学した学生も必ずいます。その学生にとっては、上のような発言は侮辱や冒涜に他ならないと思いませんか。私は現在在籍する大学に特別の愛着があるわけではありませんけれども、それでもかなり苦労して入学した大学ですから、やはりそういうことを言われると腹が立ちますし、胸ぐらを引っ掴んで殴ってやりたくなります。私の努力とそれに費やした時間を踏みにじられた気がしてなりません。


私は高校2年生になったばかりのゴールデン・ウィークに、大学に入学したばかりの2つ上の先輩(私が1年時に3年)2人に再会しました。彼らは口を揃えてこう言うのです。

「俺たちは受験生の時にテキトーに勉強して、テキトーに受かった大学に行ったけれども、周りの奴らの中には猛勉強して入ってきた奴もいる。だけど正直、そういう連中とは話が合わない」


こう言っては何ですが、つまり、入試以外の一般的な知的水準の面で価値観が合わないということでした。これは私が第一志望の大学に入ってすら感じていることなので、ならば彼らにとっては、より強く感じられていたのだと、今ならば理解することができます。


しかし当時の、まだ受験は遠くに感じていた私にとっては、衝撃的ながらも重みのある一言でした。そしてこの言葉は高校3年の入試期まで、そして今に至るまで私の中に強く印象深く残っています。


そして彼らは繰り返しこう言うのです。

「だからお前はちゃんとやって、第一志望に行けよ。俺たちみたいになるなよ」


受験期に愛読していた受験評論家・和田秀樹氏(現在もよく読んでいます)の著作にはこう書かれていました。「成功するには、失敗した先輩の失敗談に学べ」と。つまり、成功には、個々人の個性に寄るところが大きい場合もあるが、失敗には共通項が多いというのです。私には先輩たちが受験に失敗したかどうか判断することはできませんが、彼ら自らがそう言うならば、そのように見なしたいと思います。


では失敗談に学んだ私が成功したかというと、必ずしもそうとは言えないと自認していますし、公言しています。私は後輩に「俺は受験には失敗した部類に確実に入る」と常々言っています。私は結果として現在第一志望の大学に在籍しておりますが、合格したのは入学したところそれのみです。


私は併願で明治大学中央大学(共に文学部、中央はセ試利用)を受験しましたが、見事に落ちました。高校の同期で同じ大学に入った友人には「奇跡だ」とまで言われました。しかし実際私自身も奇跡だと思っているので、否定はしません。


受験生時代の私は、自ら恃むところすこぶる厚く*3「明治や中央だけなら受かっても浪人する」と放言していました。つまり明治や中央には絶対行かないのに、受験するということです。しかし大学に入学した今にして思えば、前述の通りそれは、明治や中央を第一志望とする人たちへの侮辱や冒涜です。


私は無神論者なので、この世には神も仏もないと思っています。しかし中央と明治の結果を聞いたのち、第一志望の大学の結果が来たときは、受験の神だけはいた! と冗談でなく思いました。予兆があったとしたら、入試後帰途について、同じ受験生の波に押されて校地をトボトボ歩いていると、建学者の立像の背中に行き着きました。ふと見上げた銅像の後ろ姿に、生きてて感じたことのないインスピレーションを与えられました。瞬間的に「俺はここに来るしかない」と思いました。当初「受かったところに行く」と言いつつ、最終的には「第一志望以外なら浪人」と言い出していた私ですが、入試を受け終えた直後が、第一志望の大学に行きたい瞬間の最高潮でした。そしてその直後のインスピレーションでしたから、無意味な話ですが、私はそこに私だけの意味を見出しています。


なぜ私が明治や中央に落ちて、現在の大学に受かったのか理由を考えてみるならば、前者には行きたくなくて、後者にものすごく行きたかったからということ以外には考えられません。例えばそれは、私の過去問対策の度合に如実に現れています。中央はともかく明治は2〜3年しか解いてませんでした。後者は結局15年くらいは解いていたと思います。だから私はどれだけ「●●大学に行きたい!」と熱心に言い続けた受験生がいたとしても、合格しなければその熱意が真実であったとは絶対信じられませんし、また受験生自信がその熱意は偽物だったのだと自覚すべきだと思います。即ち、その熱意を真実だと知らしめたければ、合格を勝ち得るしかないということです。


私は今、全く根拠のない精神論を吐いていることを自覚しています。いわゆる電波系と揶揄されても自ら否定できないでしょう。しかし人間とはスピリチュアルな動物だと思います。ゆえに精神の在り様が現実世界に影響を与えることは必ずあると思います。少なくとも、だから私は奇跡を起こすことができたのだと確信しています。


もし受験の神がいるとしたら、私を現在の大学に行かせるために、また私を戒めるために、明治や中央を落としたのだと思います。もし受かっていたら、一時の気の迷いで滑り止めとして入学していたかもしれない。しかしそれは私にとって初志貫徹ではありませんし、繰り言ではありますが、明治や中央を第一志望とする人たちへの侮辱や冒涜です。


勿論、様々な事情から浪人を許されない受験生もいらっしゃるでしょう。私だってそういう家庭環境にありました。ですからここで申し上げているのは、第二、第三志望の大学に滑り止めとして行くことが悪であるということではございません。即ち、入試前の諸氏は、つまらないことを考えずに第一志望に受かることだけを考えておればよろしいということです。


今回は何だか、同じことを何度も繰り返していて甚だ恐縮なのですが、人間とはスピリチュアルな生き物です。よって少しでもネガティヴな発想を繰り返していると、それが現実化してしまうものなのです。ある面では「第一志望に浪人しててでも行く」と意志を持つことが重要なのですが、同時に「第一志望に現役で絶対入る」とも念ずるのが、肝要だと思われるのです。つまり前者ではいかに自分が第一志望の大学に入りたいかを常に再確認する思考であり、後者では幸福の最短経路(=現役合格)を勝ち取るという強い信念の保持作業であります。


所詮受験とは結果論です。受かった者勝ちです。だからこそゴールにいたるまでのプロセスを重要視しなければなりません。そのプロセスをなぞる時の精神をいかに持つべきか、今回はそれを講義したのであります。特に私同様に、「学力とか偏差値は全然足りてないけど、この大学に行きたいんだ!」という気持ちばかりが先走った受験生を想定して申し上げた次第です。気持ちがポジティブに向いていれば、意外と何とかできるものですよ。奇跡は起こした者勝ち、奇跡は叶うものじゃなくて、叶えるもの*4ですよ。(3856字)


To be Continued to 20041009(次こそは締切厳守!).......


04年9月6日 一部訂正(Danke schön meinen Freund, Herr Chiba!)、9月9日 一部追記

*1:古い友人は知っている筆者の口癖です。

*2:徒然草』の冒頭の一節です。私は暗記してしまっています。

*3:中島敦山月記』の主人公と同じです。

*4:安室奈美恵CHASE THE CHANCE』より。私が若い頃(10歳頃。笑)に流行った曲です。