『3代顕彰』は無意味である

私の手元には、9月11日(土曜日)付けの福島民友(第7版)がある。複数回にわたって9月11日が、私の母校の創立記念日であることを言及してきているので、もはや卒業生以外の方々にも詳細を説明する必要はないだろう。同紙の15面から22面にかけて、同校の創立120周年を祝う記事が並べられている。私は創立100周年の年(1984年)に生まれ、男子校最終学年に入学したので、母校の120周年は自らの成人年と深く関連付けられて、非常に感慨深いものがあることを隠す理由はない。

7面にわたって書かれている記事は、拙速にも短く要約すれば、母校の120年を振り返ったものと、母校が輩出した県内要人の挨拶文である(先日再選を果たした佐藤栄佐久福島県知事も卒業生であり、卒業生という立場でないが、同じく彼の文章が掲載されている)。卒業生であれば、読み飛ばすことの出来ない内容であろう。

しかし私はその紙上第22面に掲載されている、一つの記事に強く苦言を呈したい。それが『安中・安高3代以上の在籍顕彰者』である(『安中』は安積高校の旧制中学時代の略称であり、現在別に存在する安積中学校とは別のものである)。「9月11日の記念式典で顕彰」とあるが、私にはこれに何の意味も必要性も全く感じられない。「3代にわたって安積高校に学費を納めたから」などという馬鹿馬鹿しい理由が存在しないと信じたい。

仮に私が譲歩して、記念式典での顕彰は認めたとしよう(現実には恐らく譲歩するに足る理論的な理由が見当たらないので、有り得ないだろう)。しかしそれをわざわざ、地方紙とはいえ一般紙に掲載する理由は、やはり存在しないと断ずる。

同面の上部には『【広告のページ】』とあるから、つまり同窓会がお金を出してこの『広告』を掲載したと言えよう。しかし広告とはいえ、広く世に供されたことは事実である。そもそも、紙面が手元にある方にはご覧頂きたいが、『3代顕彰者』の『広告』は明らかに『記事』の体裁を取っている。これは私のような新聞作成の経験者ではなくても、見れば容易にわかることである。

理由は私には見えないが、しかし同窓会の意図ならば推測することが出来る。それは即ち『権威主義』以外の何物でもないだろう。掲載されている名前を見ると、地元テレビ局の元社長や病院院長などを家長とする、3代にわたった安積高校在籍者ばかりである。つまり『地元の名士』と呼んで差し支えのない人たちばかりの名前が連なっている。

しかしそれは、今回の120周年記念募金の募金状況が悪いことについて、同窓会公式ウェブサイト『安積桑野会』の掲示板上で批判として指摘された点と同じではないだろうか。その指摘とは以下の発言に要約されるだろう。

金額があまり大きいので

久しぶりにこのH.Pを覗いてみました。一寸私にも言わせてください。
幹事のご苦労はものすごく分かります。
でも、一寸いろいろな文面からするとなんとなく高圧的な感じがするのです。
多分、世間でいう「名士」の方たちではないのかナーと思うのです。
伝統、歴史。とてもすばらしいことです。
とてもいい環境で学ぶことができました。いい思い出が一杯です。
それにしても、「今回の寄付は多すぎる」が実感です。
「千円以上お好きなだけお寄せください」となれば、私でも応募できたのですが。
なんか、出しそびれてしまいました。
次回から、小口にしてください。ぺつに一覧表に載らなくて結構です。 

(『安積桑野会』の会員掲示板からある発言者の発言を全て引用。一部改行点を変更している)

私には、同窓会執行部を務める卒業生と一般卒業生の感覚が乖離していると感じられる。言い換えれば、私には同窓会が執行部の自己満足で動かされている部分が多分に見受けられるということだ。強く非難するならば、『同窓会の私物化』と言っても間違いではないと思っている。『3代顕彰者』のリストをよく見ると、直系でない例は割と多く見受けられる。これが同窓会の示したルールに対応しているのだろうから文句は言えないが、私には権威者のために形骸化しているとしか思えない。

話に聞くと、式典では勤続10年以上の教諭も同様に表彰されたという。しかしその記述は、同紙には1行も記されてはいない。私はこのことこそ大きく伝えるべきだと感じる。寧ろ10年と言わず、1年だろうが半年だろうが、私達を指導した全ての教諭に、私は敬意を払い、感謝の意を表したい。そう思うことがごく一般的な『卒業生』として思うべきことではないだろうか。しかし同窓会には、そういう考えはないらしい。学費さえ納めていれば、学校が動くとでも思っているのだろうか。生徒(卒業生)だけで安積高校が成り立ったとでも思っているのだろうか。そんな自己中心的で、不義理な考え方が私には見え隠れする。

私自身のことを語れば、父は県内だが他市出身であり、安積高校の卒業生ではない。母方の家系は長く郡山に住んではいるものの、祖父は戦争などの事情があり、県外の高校に通ったと聞く。親戚中を見渡すと40歳ほど年上の、私の母の従兄とその子供(私の再従兄弟にあたる)が卒業生としているのみである。そんな私に言わせると、地元の名士が3代顕彰者として権威的に名を連ねているのを見ると、もはや差別にしか感じられない。

3代にわたって安積高校に入学した名家の子弟と、一介のサラリーマンの子である私は、何か性質の異なる卒業生であろうか。私自身は、社会的な功績はさておき、朝河貫一だろうが、佐藤栄佐久だろうが、これらの人物になんら劣るところのない卒業生であるという自負がある。社会的な功績はこれからついてくる予定である。そしてこんな発想は私にのみ突飛に生じるべきものではなくて、全ての卒業生が抱いて然るべき、卒業生としての誇りと自覚であるものだと断言する。

「ぺつに一覧表に載らなくて結構です」という、上で引用した発言に私は一般卒業生の良心を感じる。しかし3代顕彰者は、一般紙の一覧表に載りたいという。同窓会は載せたいという。しかし同窓会とは母校を、そして在校生を陰から支える存在であり、表に出るべきではないのではないか。それが卒業生としての美徳というものだと思われてならない。私は『一般卒業生』の側に属し、私達から乖離して美徳のない執行部の同窓会に与することは出来ない。