旧サイト閉鎖⇒新サイト移行の理由

今日(昨日)、安積高校学校祭『紫旗祭』の仮装行列(パフォーマンス)のあと、母校で旧友Hと再会した。約1年半振りの再会であった。

彼に私は、旧サイトが閉鎖し、新サイトに移行したことを告げたが、それは既に知っていたという。そして続け様に言うことには「新サイトは安高の話題が厳禁なんだろ?」と。

これは甚だ彼の誤認であると指摘したい。彼同様に誤認している人がいるのならば、すぐにその考えを改めてほしい。当サイトにおいて、特に掲示板において、安高の話題が厳禁だとするならば、どうして私は新サイト移行時にサイトアドレスを継承させる必要があっただろうか。そのアドレスの"ankoshinbun"というターム自体安積高校の一部から拝借しているというのに。即ち、旧サイトで培ったもの全てが新サイトに引き継がれる意味と価値があったからに他ならないからだ。自分の高校の在籍期数までも明示するなんて、これ以外に意味も理由もない。

旧サイトにおいて『管理人』であった私は所属する『新聞委員会』という名称を看板に掲げることによって得られるメリットは十分に大きいものであると認識していたから、その名の元にサイトを立ち上げたのだ。一応は私自身の卒業以降の、サイト運営の展望もおぼろげながら抱いていた。

だが、当然ながらデメリットも存在した。そしてそれは私の想像を超えて幾つも現れることになった。それは『管理人』が『新聞委員』であるが故に、自分達の発行物以外の媒体で、何か意見を述べること(特に安積高校に関わることについて)が制限されるのだった。それを思い知らされ、以降旧サイトはあまり意味がないと知りながらも「安積高校の公認ではない」とエクスキューズを出さざるを得ず、ウェブサイト上においては、勿論掲示板においても、私は自らの学校に対する意見を率直に語ることが許されなくなっていったのだ。

思えばそれは当然であり、それについては当時も今も腹を立てることはなく、自らの浅はかさを恥じるばかりである。自らの職責に対する認識の甘さを痛感させられた。

だが私はどの媒体においても問題提起を声高に為したかったし、上記のことと、私の言論の自由が封じられることとは別問題である。『安積高校新聞第165号』(私が編集長を務める新聞の2号目)で当時の顧問から取り上げる話題について『待った』をかけられたことは、大学でより高次の学内報道を目指した活動をしている今の私ならば新聞委員の辞任届を提出するだろう。今にして思えば、この例もまた、自らの職責に対する認識の甘さを露呈した一件であっただろう。つまりこの当時の私は愚かしくも幼かったと断じざるをえない。だから私が最後に携わる『同166号』で可能な限り好き勝手やれたことは、「新聞委員なのに、言いたいことが言えない」と陰鬱になっていた私の溜飲を幾ばくかは下させるものになった。そして同号が第31回全国新聞コンクールで優秀賞を受賞し、世間から評価を得られたことがせめてもの救いとなった。

とは言え、自媒体外ではやはり発言できないという原則は今もって変わるわけがなく、そして程なく私は部活を引退し、そして高校を卒業してしまった。ここで現れる私の溜飲は『卒業し外部の人間となった者が、内部の人間のごとく看板を掲げていたままでよいのだろうか』という疑問だった。そしてそれはすぐさま否という結論に達した。このことは【旧サイトをご利用の皆さんへ】で説明させて頂いた通りである。

その結果私は、2年半ぶりに看板をかけかえることにしたのだった。看板をかけかえ、見た目を綺麗にしたが、中身は全く変わっていない。寧ろ安高に対しても、より深くコミットした内容になっていくのではないかと、『制作者』である私は感じている。

掲示板に関しても、旧サイト時代においては『閲覧者 対 閲覧者』(『閲覧者』に『管理人』が含まれない)であったところが、新サイトでは『閲覧者 対 閲覧者』であり『制作者 対 閲覧者』という議論の構図を呈したいと考えている。それは新サイトが多義的な『個人サイト』であるということの証明になれば望外だ。

北里大学教授の養老孟司氏(東京大学名誉教授)はある著作(確か『バカの壁』(新潮新書)だったと思う)で以下のような趣旨のことを語っている記憶がある。「私は東大にいた時から批判的なことを言ってきましたが、退官した今にして思えばやはり言いたいことが言えていなかった」と。

中にいなければ言えないことは当然ある。看板を掲げなければ語れないこともある。しかし私はいずれも経過してきた。養老氏は中にいたから、外にいる今言えることがある。かつて中にいた私が、内部者としての看板を取り外して、母校を語る時が来たのだと思っている。それはそれまでの経過を経ていなければ絶対不可能なことである。そしてそれが母校に対する私なりの恩返しではないかと信じている。

私は他の卒業生には為し得ない事業に着手しようという自負がある。それを理解しない人には、もはやお越し頂く義理もない。それが『個人サイト』たる『当サイト』の新しい一面である。どうぞ新しい『当サイト』にご期待下さい。