学校祭『紫旗祭』の準備進む安積高校

今日(日付は昨日)私は、高校・大学(学部は異なる)の同期である友人Sと母校・安積高校(以下、安高)を訪れた。私には前日までその予定はなかったのだが、アルバイトなどで忙しいというSが合間を縫って東京から帰ってきて、是非我らが恩師に挨拶をしたいという。私も今夏は一度も母校訪問をしていなかったので、無下に断る理由はなかった。

旧制中学校時代から数えて、創立120周年の節目に当たる今年の『紫旗祭』(安高はスクール・カラーが紫で、校旗が紫色をしている)は在校生のみならず、卒業生の関心事となるべき行事のようであった。我々の2、3年次担任であった恩師もやはり安高の出身であり、即ち私達の先輩である。安高における同窓教員(安積高校出身の教員のこと。安高全教員の3分の1程度は占めると思われる)の中で最年長の師は、昨年度から担任クラスを持たずに120周年記念式典主任(この名称は私の命名によるもので、正式名称は不明)という役職に就いており、私達の来訪時も多くの電話を受けるなど、実に忙しそうにしていた。もっとも、師がその役職に就いていることは昨年から知っており、この時期忙しいであろうことは予想の範疇であった。それを考えると、突然押しかけたのも申し訳ない気がした。

また私達は、同じく2、3年次日本史の担当であった教諭とも話をすることができた。1年次私は彼に政経を、Sは確か倫理を習っており、つまり3年間世話になったことになる教諭である。暇なわけがないこの時期に貴重な時間を30分ほど割いてもらい、この教諭が現在好んで飲んでいるという中国茶を淹れてもらった。感謝の一言である。

校内は至るところ学校祭の準備で慌しくしており、私達は廊下の通行にも苦労させられた。しかし校内を散策していると、2年前の紫旗祭で私達が準備中につけてしまったカラースプレーの汚れが残っているのを見つけ、私達も当時同じことをしていたのだと思い出させられた次第である。

5年に2度、即ち3年・2年の変則的なスパンで行われる紫旗祭は、5年おきに2度学校祭を経験する学年ができる。最近では108期、113期、そして現在の3年生である118期生だ。その次は123期生になろうか。

118期生はは2年前、1年生の時(私達116期生が3年生)に1度経験している。そのため『慣れてはいるが、新しさに欠ける』学校祭になるものと思われる。私達が聞いた話では、開成山の野外公会堂(この辺は記憶が曖昧で正確さに欠ける)で各クラスのパフォーマンス・コンテストが行われるそうだ。だがこの着想は、2年前に116期生の3年2組が披露した『武富士ダンス』から得ているという。だがこの批判めいた逸話は5年前の紫旗祭でも同様だったらしいから、逆に言えば来場者は、はずれのない学校祭が確実に楽しめると言えそうだ。

そして私は、最後に思い出深き新聞委員会の部室を立ち寄った。120周年記念のため、3年生まで総動員でブランケット版(一般紙と同じサイズ)8面(通常は4面)の『安積高校新聞』作成にとても忙しくしていた。その様態は、見ていて卒業生として心配になるほどだった。この作業にまさに忙殺されたのか、編集長である委員長は体調を崩してドクター・ストップがかかっているという。

だが私は、彼らがとても羨ましい。今回は福島民報新聞とタイアップした企画があるという。詳細は不明だが、新聞委員会が同紙の紙面を1面ないしそれ以上を担当して発行するらしい。私は中学1年から今まで8年間『新聞』というものに携わってきた。作成に参加した新聞が2年連続で全国新聞コンクールの優秀賞を受賞したという実績もある。大学で在籍する報道サークルはいわゆる『大学当局非公認』であり、資金に乏しい。潤沢な資金で新聞作成をできる環境が、実はとても幸せだということに私は気づいている(勿論スポンサーがいるということは、介入されるというリスクも孕むわけだが)。可能ならば、私もこの作成に参加したかった。

ともあれ、私は私達が最高学年であった時に入学した1年生が、現在最高学年となり中心になって作り上げる紫旗祭を訪れようと思う。そして当サイトにその様子のレポートを掲載する予定だ。

そして、私の最も尊敬できる後輩達が難産の末、世に送り届ける『安積高校新聞173号』を、どうぞご覧頂きたい。