若手お笑いブームの隘路

当座の若手お笑いブームを支えていた2番組が同時に幕引きとなることになった。

スポーツ報知『「イロモネア」今春で終了…後番組もウンナン

1月29日8時0分配信

お笑いコンビ「ウッチャンナンチャン」が司会を務めるTBS系「ウンナン極限ネタバトル!ザ・イロモネア 笑わせたら100万円」(木曜・後9時)が今春で終了することが分かった。同番組は芸人たちが5つのステージで笑いに挑戦する人気バラエティー。関係者によると「イロモネア」の番組構成上、同局では単発番組の方が魅力を引き出せると判断し、レギュラー放送はいったん終了、今後は特番化する。

同番組は05年に単発特番として誕生し、計6回放送。期首、期末の激戦区でも約14%の平均視聴率を叩き出した。08年4月にゴールデン枠(土曜・後7時)でレギュラー化され、当時、視聴率は2ケタ前後をキープしていた。4月からはやはりウンナンをメーンにした新番組を検討しているという*1

MSN産経ニュース『「エンタの神様」打ち切り、嵐の番組に 日本テレビ

2010.1.25 18:47

日本テレビは25日、土曜午後10時から放送しているお笑い番組エンタの神様」を今年度いっぱいで打ち切り、新年度からは同時間帯で、ジャニーズ事務所の人気グループ「嵐」が出演する番組を放送することを明らかにした。

同局の舛方勝宏専務は「土曜日は強いので、ここを強化するため」と改編の趣旨を説明。詳しい番組内容については未定で、「現時点ではドラマではない。ちょっと(嵐の)大人っぽいものを出していきたい」と言うにとどめた*2


以下の論考でわたしが「お笑い番組」と言うとき、その言葉に含意されているのは、事前に練り上げられた台本に基づくコントや漫才などの「ネタ」を見せる番組である。ある番組中において「ネタ」の合間にコーナー企画やトークを挟んでいても、それを「お笑い番組」と呼んでもよいが、それらの比率が過度に大きくなったり、それどころかコーナーやトークだけになってしまった番組を、わたしは「お笑い番組」とは呼ばない。それは「バラエティ番組」の1つである――無論「お笑い番組」もバラエティ番組の一種ではあるのだが。

現在のテレビ・ラジオなど業界では若手お笑いブームが起きていると言われているが、果たしてこのブームが一体いつ始まったものなのか、わたしにはわからない。個人的な記憶から言うと、ネタ番組化した「ボキャブラ天国」シリーズ(「超…」96年10月〜「家族そろって……」98年9月)に始まり、同番組と入れ替わるようにして放送が開始された「笑う犬」シリーズ(「…の生活」98年10月〜「…の太陽」03年12月)を、第一に挙げておきたい。だかこれらのフジテレビ製作番組よりも、こんにちの若手お笑いブームを語る上で重要であると思われるのは、「爆笑オンエアバトル」(99年3月〜)である。

但しわたしは、96年当時はまだ小学6年生であり、03年3月まで福島県に住んでいたこともあり、96年以前の若手芸人たちの趨勢には全く疎く、加えて深夜、関東ローカル、または関西ローカルで放送されていた番組についてはフォローできていないことを付け加えておく。もっとも、上掲の諸番組は(概ね)全国放送であったこともあり、このブームの勃興にたいする影響力は決して小さくなかったものと想像され、それゆえわたしの回顧もあながち的外れではないであろうと自負している。

また本来ならば、上掲の諸番組に「めちゃ×2モテたいッ!」(95年10月〜96年9月)とその後身である「めちゃ×2イケてるッ!」(96年10月〜)を加えるべきなのかもしれないが、「めちゃイケ」開始当時まだ芸歴6年目だったナインティナインら“テレビに出ている人気者たち”が「若手」などとは、まだ小6だったわたしにはよくわかっていなかったので、含めてはいないが、無視することはできない番組である。

ボキャ天」の終了も「笑う犬」の打ち切りも、恐らく理由は同じであろう。その番組を支えていた若手芸人たちも、番組開始当初はヒマだったので事前にネタを練り上げる時間がたくさんあったが、その番組の人気が出るにつれて若手芸人たち自身も他の番組や舞台に駆り出されるようになった結果、彼らを輩出したネタ番組自身を支える屋台骨が失われ、衰退するようになっていったのである。「ボキャ天」においては爆笑問題海砂利水魚(現・くりぃむしちゅ〜)らが、「笑う犬」ではネプチューンが忙しくなった結果時間をかけてネタを作ることができなくなり、安易なコーナーばかりを連発するようになり、次第に人気が落ちていったと思われる。

01年から始まった「M-1グランプリ」が影響力を持ち始めるのは、今から考えると03年の第3回大会頃からであろうが、同番組は年末の年1回ということもあり、若手お笑いブームはしばらく「オンバト」の支配下にあったと言って過言ではない。この「オンバト」一強時代に楔を打ち込むのが、「エンタの神様」(03年4月〜、但しネタ番組化はその半年後)と「笑いの金メダル」(04年4月〜07年6月)である。「エンタ」に先んじて「笑金」が没落していった理由は「ボキャ天」や「笑う犬」と同様に若手芸人たちが忙しくなっていった結果ネタ番組ではなくコーナー番組にシフトしていき、人気が離れていったからである。

05年以来単発のスペシャル番組として好評を博していた「ザ・イロモネア」がレギュラー化するのは、08年4月からである。この番組の盛衰を説明するのは(とりわけこの番組をあまり観たことがない人にたいしては)やや面倒である。この番組を(割と熱心に)観たことがある人には諒承されると思うが、端的に言えば、この番組は「一発ギャク」「モノマネ」「ショートコント」「モノボケ」「サイレント」の中から芸人がアトランダムに選んで、観客の中からアトランダムに選ばれた、司会者以外にはわからない審査員を60秒以内に規定の人数分だけ笑わせるところに面白さがあったのだ。その意味でこの番組はネタ番組ではなく、バラエティ番組と呼んだほうが適切かもしれないが、芸人によっては選んだジャンルの中で持ちネタや持ちギャグを生かすこともでき、ネタ番組としての色彩が強いものであった。そして番組開始当初は1組の芸人ずつファーストステージからファイナルステージまで通して、しかもジャンル選択も自由にできたのだが、のちに全組並んでファーストステージから、しかも挑戦するジャンルは制作者によって指定されるという緊張感が失われる演出に変わってしまった。それどころかこの番組は「ピンモネア」「グルモネア」「ロケモネア」という若手芸人たちの、本来ならばあまり期待するべきではないアドリブ力に全てを託すという自滅コースの企画を選択してしまったがゆえに、その寿命を早めてしまった――特番の頃から熱心に観ていたわたしも、「ゴールドラッシュ」を除けば、「ピンモネア」が始まったあたりから観るのをやめてしまった。この番組は、自らつまらない方向に舵を切ってしまったという意味で、バラエティ番組としても最低の部類に入る。

そして「エンタ」の終焉である。自今の若手お笑いブームを長きにわたって支えていたという点で、この番組は評価されるべきであろう。若手お笑い芸人たちのネタ見せ番組というジャンルにおいて、それまで一人勝ちの状態であった「オンバト」を一時期隔週放送(「…爆笑編」04年4月〜05年3月)に追い込むなど、「エンタ」の衝撃が強かったことは否み難い。

しかしそのために自らの首を締め続けていたというのも間違いなく事実である。この番組は若手芸人の青田買いや、彼らが元々持っていたネタに制作者たちが加筆修正をしたり、割と長尺のコントや漫才の合間に、どうでもいいような一発ギャグ芸人を連れてきたり、それどころか制作者自身がある芸人をそのような一発ギャグ芸人に仕立て上げたりする(桜塚やっくん小梅太夫など)という様々な“暴挙”を続けてきたが、このような“一発屋”芸人を(所属事務所や芸人の側ではなく)テレビ番組が自ら量産し続けた結果、視聴者はとっくにこの番組に飽きてしまっていたのだ。それでもこの番組がある程度延命され続けていたのは、今度は「エンタ」ではなく「爆笑レッドカーペット」(レギュラー化は08年4月〜)によって若手お笑いブームが未だに持続していたからにすぎない。

「エンタ」に比べれば「レッカペ」のほうが、スタッフによる芸人へのネタに関する口出しが少ないように思われ、その意味で「レッカペ」のほうが「エンタ」よりもシンプルな番組である――逆に言えば、制作者たちが手抜きができる番組であるとも言えるのだが。思えば「エンタ」と「レッカペ」は、番組の立ち上げ理由が、前番組の急な打ち切りに伴う急場しのぎのための代役として用立てられたという点で、全く同じである。「エンタ」は「電波少年に毛が生えた 最後の聖戦」(02年10月〜03年1月)、「雲と波と少年と」(=「雲波少年」03年1月〜2月)の打ち切りに伴ってバタバタと始められた(そのため、最初の半年はネタ見せ番組ではなかった)。「レッカペ」も、もともとは捏造事件で打ち切りになった「発掘!あるある大辞典II」の代替特別番組として制作され(司会の今田耕司も番組中に「この番組はレスキュー番組です」と言っている)、「ココリコミラクルタイプ」、「ワンナイR&R」を包摂していた「水10!」(02年4月〜07年9月)(の打ち切りに伴って放送された「ジャンプ!○○中」07年10月〜08年3月)の打ち切りによってレギュラー番組となり、「脳内エスIQサプリ」(04年4月〜09年3月)の打ち切りによって水曜10時から土曜7時へと枠移動した経緯を持っている。

ついでに言えば、もともとは「笑金」もテレビ朝日系列の低迷していた金曜9時枠の救済番組として放送開始された経歴を持っており、「劇的!ビフォーアフター」(02年4月〜06年3月)が撮影に時間がかかりすぎるという理由でレギュラーから単発特別番組に格下げとなり、その番組の後釜を引き継いで日曜8時枠に異動している。「イロモネア」ももともとはTBS系列の低迷していた土曜7時枠の救済番組としてレギュラー化された。

このように、少なくとも「エンタ」以降の若手お笑い芸人ブームを牽引してきた番組は、およそ例外なく前番組の人気低迷や急な打ち切りに伴って慌てて仕立て上げられた救済番組である。救済番組として若手芸人が多用されているのは、(1)芸人たちが自前で予めある程度ネタを持っているので、事前にテレビ局側が企画を練り上げる必要がなく短時間で企画が用意ができて手抜きができ、(2)しかも昨今の不況の折ギャラの安い若手芸人を使うことによって制作費を抑制できて、(3)その上どういうわけか各個の「お笑い番組」は低迷して打ち切りになることはあっても、若手お笑いブームそのものは全く翳りが見える気配がないという、とりわけテレビ局にとっては都合のいい事情がいくつも並んでいるということが要因であろう。

「エンタ」であれ「イロモネア」であれ、あるいは存続する「レッカペ」にせよ、若手芸人たちにとってはお茶の間に自分たちの顔を売り込めたという点で、それらの番組は確かに実力のまだ伴っていない彼らを強引に消耗させたという暴君的な側面はあるにせよ、数が少なくなることは、彼らにとって不利に働かないわけはない。いかに劣悪な競争環境を与えられていたにしても、そこでサヴァイヴできた者たちは現にスターダムへと現れている。ウッチャンナンチャンがそうであったように、内村光良率いる「笑う犬」や、「スリーシアター」(08年10月〜09年3月)とその後身である「レッドシアター」(09年4月〜)といった番組それ自体に育てられる(当時の)若手芸人たちは幸運だが、極めて少数の例に留まっている。こうした番組に主演して顔を露出することによって、狩野英孝、フルーツポンチ、はんにゃといった、他の出演者たちに比べて(人気はあるかもしれないけれど)実力が伴わない者たちまで面白いように見えてくるから不思議であるし、実際そのうち実力がついてくる場合も大いにありうる。だが「シアター」メンバーは先に言ったように極少数の例であって、全ての若手芸人がこういったチャンスに与れるわけではない。わたしがほとんど一度も観たことがなかった深夜番組「コンバット」シリーズ(07年4月〜08年9月)に見られるように、そのようなチャンスを生かせない芸人のほうがむしろ多いくらいであろう。

若手芸人を大量投入してきた番組が終焉を迎えることは、しかし、若手お笑いブームそのものの終焉それ自体には結びつかないだろう。強いて言えば、「エンタ」が終わることによって、どのお笑いファンが観たいんだと思わされるような低レヴェルの芸人を見る必要がなくなる分だけ、有益とすら言えるかもしれない。そもそもこれまで「エンタ」が担ってきた若手芸人の“青田刈り”のある部分は、深夜番組の「あらびき団」(07年10月〜)にすでに移されているといっても過言ではない――しかしながら「エンタ」とは異なり、「あらびき団」の演出方法は、彼らの粗引きな芸を上手く活かしている。「イロモネア」は終わっても、お笑いファンにはダメージは特にない。

恐らく、先例が示すように、上で紹介してきたようなネタ番組が長寿を全うすることはなく、「レッカペ」自体も早晩終焉を――多分、1分間(程度)でネタを見せるという現行のスタイルを変化させざるをえなくなったときに――迎えるであろうし、そして少なくともゴールデンタイムでレギュラー放送している若手芸人たちのネタ見せ番組が1つもなくなったときに、若手お笑いブームは岐路を迎えるだろう。「シアター」も、結局は「笑う犬」のように、出演者の何人かはより高次のステージを上っていくときの踏み台にされて終わりになるのがオチであろう――但し、「笑う犬」を巣立っていったネプチューンが10年後に「笑う犬」特番に帰ってきていることは、美しい。けれども、老舗の保守的な「オンバト」が生き長らえ、「M-1」「R-1ぐらんぷり」(02年〜、全国放送は第3回から)「キングオブコント」(08年〜)はそれぞれ独自の権威を保ち続ける限り、そのブームはなくならないはずである。

むしろ安易安直なネタ見せ番組がなくなることによって、流行りものが大好きな小中高校ぐらいの若いファンに支持される一発屋芸人が現れなくなることは予想される。若いファンは、低年齢であればあるほど、そのとき面白いと思えるものに瞬間的に飛びつくが、その分飽きるのも早い。“真のお笑いファン”なる者たちがいるとすれば、彼らは可能な限りお笑い芸人たちが出演している番組を、自分たちの「お笑い」にたいする愛ゆえに、他のあらゆるジャンルの番組よりも優先して観るであろうが、そんな彼らであっても――彼らであるからこそ――1年先、半年先にはテレビやラジオから消え去っていることが目に見えている芸人を観ることは苦痛であろう。そうした一発屋芸人は観客を笑わせているのではなく笑われているだけ、あるいは飽きっぽいファンが、ほんの短いある一時期の雰囲気に流されて笑ってしまっているだけに過ぎないからだ。

野心的なNHKの「笑・神・降・臨」(09年4〜5月、10月〜11月)は言った、「世相に流されない真のお笑いファンに捧ぐ…」と。だから真のお笑いファンが望んでいるのは、安易安直でくだらない、創意工夫のない、テレビ局が手を抜いたネタ見せ番組の根絶であろう。テレビ局と芸能事務所がこのようなネタ見せ番組を続けることは、実力者と一発屋の二極化を結果的に押し広げるだけであり、使い捨てられた一発屋芸人のその後は誰も保証してはくれない。史上最強の一発屋と呼んでいいであろう、元猿岩石の有吉弘行が語る“一発屋のその後の悲惨さ”は、猿岩石のまるで突風のようだった、ほんの一瞬の人気絶頂期を目の当たりにしている、かつての飽きっぽいファンたちにとっては、極めて強力な説得力を持っている。もっとも、少なくともテレビ局にとっては、上に示したように、二極化と一発屋芸人の使い捨てが彼らの狙いのようだから、タチが悪い。