そして伝説へ――世田谷区桜丘・勢得

かつて荒川区町屋に、人気のつけ麺屋があった。この店の名声は瞬く間に世のラーメニストたちの耳へと飛び込み、彼らはこぞってそのつけ麺を啜った。この店はあまりに多くのラーメニストの胃袋を満たし、彼らの多くはこの店を支持し、それを食さんがために行列を成した。そうしたら隣のパチンコ屋からクレームが入り、この店は町屋から撤退を余儀なくされた。

閉店のお知らせ

平成13年、「勢得」はオープンしました。
予想を上回るお客様にご来店いただき、
こんなにも多くのお客様から期待をよせていただいたことに、
大きな感謝と責任を感じずにはいられませんでした。
しかし、誠に勝手ながら一身上の都合により
平成17年10月21日(金曜日)をもちまして閉店のやむなきに至りました。
このようなご報告を致さなければ為らないことに慙愧(ざんき)に堪えません。

長年のご愛願に感謝を申し上げますとともに、
ご利用いただいているお客様には大変ご迷惑をお掛けすることになり、
心からお詫び申し上げます。

また、今後の「勢得」移転先については現在検討中です。
                           勢得店主*1

勢得は店主の個人経営で、人を多く雇っていたわけではなかったので、客足の回転が悪かったのは事実である。わたしは上記の閉店日の2日前に最初で最後に訪れている*2が、そのときは確か1時間半ほど待たされたように記憶している――声の小さなバイトの女の子が一人いたと思うが。

その勢得が、07年末に世田谷区の桜丘に再開店した。わたしは、わたし自身が南池袋の大勝軒に連れて行ったことによってつけめニアンとなった院生仲間Eと一緒にこの店へと赴いた。Eは就職で東京を離れ、東海方面に赴任することがほぼ決まっており、今回は彼にとって最後の、東京のラーメン名店訪問となるかもしれない。

わたしたちは小田急本線の千歳船橋駅に13時に待ち合わせた――と言っても、わたしが15分ほど遅刻した。この駅から勢得までは15分ほどかかった。結構遠い。シャレオツな桜丘地内を抜け、東京農大の横を過ぎ、世田谷通りにその店はあった。

到着したのは1時30分ちょっとすぎだっただろうか。店の在り処はすぐにわかった、行列ができていたからだ。わたしたちの前に5、6人しか並んでいなかったのは、幸運だと言えるかもしれない。30分ほど並んだだけで、わたしたちは座席を得ることができた。行列はわたしたちのあと更に長く延びていった。

店のキャパシティを越える集客状況に、店主も苦慮しているようだ。店の前にある「桜丘三丁目」バス停に来客者が自転車を駐輪するので、「何とかしないと警察に届ける。雑誌に載ったからっていい気になるな」という旨の心ない匿名の投函があったことが、店頭で周知されていた。

並ばされた店の外とは異なり、店の中は異常に暑かった。わたしもEも眼鏡着用者なのだが、レンズが曇ってしまい、券売機の文字が見えなくなってしまった。それは恐らく、換気が悪いので、調理場の熱気と湯気がカウンター越しに客席へと移ってきてしまうからだろう。そのためか、カウンターに座ったときの足元は対照的に寒かった。

わたしもEもつけ麺大盛(450g)900円を注文した。たった450gで900円とは高すぎる気がした――つけ麺屋が示すグラム数は、いずれも茹でる前の麺重量である。例えば南池袋・大勝軒は900円出すともりそば大盛800gが食べられる。末広町・一歩は400gで750円である。

ところが勢得の麺は、太いも太い、極太の麺である。高田馬場・二郎の向こうを張っている。まるでうどんの麺のようだ。そしてつけだれは極濃である。これはかなり食い甲斐がある。わたしのような胃袋の持ち主ではなく、普通の人ならば、普通盛りで十分であろう。味の染んだチャーシューは柔らかく、すぐ解れ、とても美味しい。残ったつけだれも、スープ割りで完飲してしまった。

この味が食い手を選ぶのは間違いないが、やすべえ各店のほか、先述の千代田区末広町の一歩や神田小川町つじ田などが好きな人は、必ずハマる味である。都心からやや郊外に出るけれども、電車賃を払って(わたしは片道340円かかった)食べに行っても損はしないとわたしは確信している。わたしの日常の行動範囲からしてなかなか足を伸ばす機会が得られなさそうだが、ぜひまた食べたい、それも頻繁に食べたい味である。

勢得を出たあと、わたしたちはシャレオツな桜丘地内をちょっとだけ散策した。東京農大の正門前にある三越馬事公苑店は、新宿や銀座で見られる店舗とは異なり、小規模な小型店だった。多分、ユニクロのように出来合いが販売されるのではなく、ハイソサーイエティなマダームが品物を注文して買っていくのだ。営業時間が10時から18時30分というのも、要は主な顧客が昼間暇な人だからだろう。さすが世田谷、シャレオツだ。

東京農大はあまり広くないキャンパスに、実験棟と思しき建物がひしめき、その脇にサッカー場と野球場が一面ずつ置かれていた。郡山にある日大の工学部に似た風情である。サッカー部がボールをグラウンドの外に飛ばして寄越したので、わたしは手で拾って放り投げ返した――蹴り返さなかったのは、ひとえに真っ直ぐ飛ばす自信がなかったからだ。あの有名な大根踊りは誰もやって見せてはくれなかったのが残念だ。

*1:http://www.torasan.com/bbs/tbbs/tbbs44/messages/16465.html(09年2月2日確認)

*2:05年11月2日付の投稿で、わたしは町屋の旧・勢得が閉店したときにそこを訪れたことを記していた。http://d.hatena.ne.jp/RYUSUKE/20051102(09年2月14日追記)