改善の余地アリ――金町大勝軒

私はつけ麺が好きで、東池袋系の大勝軒にはよく行く。夜遅くまでやっているという理由で最も足繁く通っているのは南池袋で、そのほかにこれまで、御茶ノ水高田馬場(後述の中野大勝軒系の「高田馬場大勝軒」とは異なる)、飯田橋、神田、綾瀬に行った。我が郷里にある郡山、及び郡山分店(すでに閉店?)も訪れ、前者は帰省のたびに通っている。総本山である旧東池袋でも、当時すでに閉店が決まっていた06年末に食した――新東池袋は未食である。

また、この東池袋大勝軒系に影響を受けた(ように思われる)つけ麺屋もいくつか行った。「やすべえ」全7店のうち高田馬場、新宿、渋谷、水道橋の各店(残りは、池袋、赤坂、下北沢)およびその系列であるとしか思えない浅草の「利平」、御茶ノ水の「二代目つじ田」、渋谷の「櫻坂」、池袋の「麺屋ごとう」、同じく池袋の最近できたばかりらしい「のぶなが」、末広町の「一歩」、高田馬場の「べんてん」――かつてはしょっちゅう行っていたが、私語がうるさいと店員に説教されて以来行くのをやめた!――など数え上げてみれば私自身にとっても意外にも、決して多くはないが、少なくもない数の店に行っている。また東池袋大勝軒とは味の系統は違うが、中野大勝軒系の高田馬場や、高田馬場の「七福神」、渋谷の「すずらん」などにも行った。

その東池袋系の大勝軒が、葛飾区の金町に暖簾分けを10月30日に開店した。すなわち「金町大勝軒」である。拙宅の近所ということで、前に入居していた焼き鳥屋が閉店して長らくシャッターが下りたままだった店舗に工事業者が入り、「10月末オープン予定」の張り紙が出たときには、私は小躍りした――が、金町の店主は綾瀬で修行したということを事前にインターネットで知ったとき、私の期待はしぼみ始めた。綾瀬の味は私は好きではない――というか、うまくない――からである。

←金町大勝軒の外観。「綾瀬大勝軒」店主からの花輪が飾られている。

私は金町に、開店当日の午前11時50分に訪れた。カウンター席しかない座席は全て埋まっており、私の前に3人が並んでいた。もりそば特盛り900円の食券を買って待った。店員は調理担当の男性2人と、配膳などを主に担当していたアシスタントと思しき女性2人の、計4人だった。いずれも挨拶や受け答えの声が小さい、などと思いながら待っていた。

程なくして席が空き、置かれたコップの水を飲んだ。クソまずい! 同じ日に来店した他の人も言っている*1ようだが、薬品の匂いがするのだ。テーブルに置かれていたポットの中の水も同様だった。私も毎日この店と同じ金町浄水場の水を飲んでいるはずだが、そんな匂いを気にしたことはない。新品のコップやポットをよく洗わずに使い始めたのだろうか。他の客を見ても、あまり水は飲まれていないようだった。

もりそばが運ばれてきた。最初につけ汁を飲んでみる。すっぱしょっぱい。東池袋系の代名詞である(と私は確信している)魚介系出汁の効いた甘いつけ汁とは程遠い。むしろ中野系大勝軒や「七福神」に近い気がした。そのつけ汁も、麺に絡めて食べればまあまあおいしく食べれたのだが、それは恐らく麺そのものがうまかったからであって、つけ汁の擁護にはなるまい。私は途中から刻み生にんにくを入れたのだが、私の食欲が増したのは明らかににんにくのお陰である。食後につけ汁をスープで割ったのだが、前述の通りすっぱしょっぱくて飲めたものではなかった。

食事を終えて店を出たあと、私はすぐにラーメン仲間の友人Kにメールを送った。「俺たちは都心で舌を鍛えすぎたぜ。」今のところ金町は10時45分から15時までの昼営業しか行わないそうなので、時間的制約もあって、私は多分二度と行きたいとは思わないだろう。そうしたらKから返信が返ってきた。「それだけ言われると逆に食べてみたくなるなw」だからこう返した。「金の無駄だからお勧めしない。」

(08年11月2日画像追加)