日本語すら読めない幼稚化した大学生たち
以下のような話題が全国紙の1面を飾るとは、何とも情けない話である。
Sankei Web『「日本語力」低下 4年制私大、国立さえ… 「留学生以下」お寒い大学生』*1
「憂える」=「喜ぶ」!?/短大生35%中学生レベル
大学生の「日本語力」が低下し、中学生レベルの国語力しかない学生が国立大で6%、四年制私立大で20%、短大では35%にのぼることが独立行政法人「メディア教育開発センター」(千葉市)の小野博教授(コミュニケーション科学)らの調査で分かった。「憂える」の意味を「喜ぶ」と思いこんでいる学生が多いなど、外国人留学生より劣る実態で、授業に支障が出るケースもあるという。同教授は「入学後の日本語のリメディアル(やり直し)教育が必要」と指摘する。
調査は十六年度に入学した三十三大学・短大の学生約一万三千人を対象に、中一から高三相当の問題を盛り込んだテストを行い、十四年度に中高生に実施したテスト結果と照らし合わせてレベルを判定した。
その結果、中学生レベルと判定された学生は、五年前に行われた調査と比較して、国立大が0・3%から6%、私立大が6・8%から20%、短大が18・7%から35%と、数年間で大きく増加していることが分かった。
テストでは「憂える」の意味を問う設問で、「中学生レベル」と判定された学生の三人に二人が「うれしい」に音感が近いためか「喜ぶ」を選択。「大学生レベル」とされた学生の中でも正答率は50%にとどまり、文字通り“憂える”結果となった。
「懐柔する」は「賄賂(わいろ)をもらう」を選ぶ学生が多く、「大学レベル」の学生でも正答率は46%にとどまった。
このテストでは、外国人留学生でも大学院生はほぼ全員が「高校レベル」をクリアしており、「留学生より日本語ができない学生が、相当数いるのが実情」(小野教授)という。
国語力が低下した原因として、小野教授は「少子化のため、自己推薦など試験が必要ない入学や全員入学・定員割れが増加したことが日本語力の低下を招いている」とし、「入学後の早い時期に授業が理解できる高校生レベルまで、日本語力を伸ばすことが必要」とし、リメディアル教育の必要性を提言。
リメディアル教育では、今年行われたテストで千二百人中二百七十人が中学生レベルと判定された埼玉県の大学が三カ月間、週に一度、ひらがな文を漢字かな交じり文に直したり、四つの単文を並べかえて文章にする訓練を行った。その結果、一部のテストで平均点が65点から96点になるなど短期間の訓練で、理解力が大きく伸びることが確認された。
小野教授は「学生はダメだといわれているが、実際に(対策を)やってみると案外、伸びるという結果」とし、大学側が積極的に学生の日本語訓練に乗り出す時期にきていると指摘している。
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【問題の例】
■露骨に
(1)ためらいがちに (0%)
(2)おおげさに (83.3%)
〔3〕あらわに (16.7%)
(4)下品に (0%)
(5)ひそかに (0%)
■憂える
(1)うとましく思う (16.7%)
(2)たじろぐ (0%)
(3)喜ぶ (66.7%)
〔4〕心配する (0%)
(5)進歩する (16.7%)
■懐柔する
(1)賄賂をもらう (50.0%)
(2)気持ちを落ち着ける(33.3%)
(3)優しくいたわる (16.7%)
〔4〕手なずける (0%)
(5)抱きしめる (0%)
(カッコ内は中学生レベルと判定された学生が回答した割合、〔 〕数字が正解)
*小数点計算で合計は必ずしも100にならない
この『日々徒然』は大学受験生の読者が多いと思う(そう願いたい)が、受験生諸氏は注目すべきである。これが日本の大学生の真実である。これが諸氏のこれから羽ばたかんとする世界の先人たちの脳みそ具合である。
私は同じ大学生だが、他人事としか思えない。なぜなら私は日本語を話せる。
私はしばしば同じ大学に在籍する学生を批判する時、「『日本語』の通じない人間には何を言ってもわからん」と頭に来ることがある。だが彼らも日本語は通じるのである。一応はあの難解な国語の入試問題を読んで理解し、解答して正解しただけの日本語力はあるということは証明されている。
これではかぎかっこ付きの「幼稚化」ではなく、正真正銘の幼稚化ではないか。留学生のほうが日本語ができるのは、なぜなら彼らのほうが日本語を語学として体系的に勉強しているからなので当然とは思うが、留学生との比較評価ではなく、日本人の学生を絶対評価の元にさらしたとしても、これは「呆れて何も言えない」結果である。
国語力が低下した原因として、小野教授は「少子化のため、自己推薦など試験が必要ない入学や全員入学・定員割れが増加したことが日本語力の低下を招いている」
この一文をしばらく記憶にとどめておいてほしい。私が学生・大学批判をする上で重要なロジックの1つになるのが「各種推薦入試」の廃止である。批判多き入試偏重の高校教育であるが、この結果を眼前にさらされてなお、批判者たちは同じことが言えるのだろうか。
語学には得手・不得手があることは私も了承しているので、英語が読めない学生はいても仕方がないとは思う(もちろん、努力はなされなければならない)が、母国語の、それも研究者・学究者たる学生としての必要語彙を心得ていないとは、残念ながら私の「学ばざる者、来るべからず」という論理がますます正鵠を得ていってしまうのである。
小野教授は「学生はダメだといわれているが、実際に(対策を)やってみると案外、伸びるという結果」
小野氏はなんと学生に肯定的なのだろう。素晴らしい人格の持ち主である。私には無理だ。
日本語までも再教育されないとならない日本の大学生……。彼らには「日本語」でなく、日本語で批判する私の言葉も、日本語ゆえに届かないのであろう。そういう大学生を、もはや私は大学生と見なさない。
*1:http://www.sankei.co.jp/news/morning/24iti001.htmより引用(09年2月12日現在、確認不可)。