「フリーライターデビュー」の後日談2

2005年2月22日の続き)

私は受話器から聞こえてくる、Y氏の渋い重低音で目覚めることになったのである。あまり聞き覚えのない声だったので、私の睡魔は一気に雲散霧消した。

Y氏「君、今日時間ある? 飲みに行かないか?」 私「えッ……ええと、まあ大丈夫ですよ」。昼の午後2時まで眠りこけている大学生が暇でない訳はなかったのだ。

Y氏「じゃあさ、6時半に事務所に来てくれない?」。ということで、2度寝をする暇〔いとま〕も与えられず、私はもぞもぞと布団を這い出なければならなくなった。しかし私はこの日、大学で雑用*1があり、先方の事務所に行く前に、一度大学に行かねばならなくなった。そうすると、時間的余裕はない。そのため私は朝食も、当然昼食も食さずに家を出なければならなくなった。勿論、空腹であった。

6時半、先方の事務所に到着。しかしY氏はある雑誌の取材を受けていた。ここでY氏を取材していたのが、この雑誌の編集者K氏と、私にこのバイトを斡旋したフリージャーナリストのT氏だった。要はY氏は、このT氏が来るから、彼も交えて飲もうという意図だったようだ。またK氏からは、ご丁寧に名刺を頂いた。出版社名と雑誌名が入った名刺を頂くのは初めての経験であったが、何とも緊張するものである。

しかし、この取材は大幅に延び、取材が行われている会議室の片隅で、私はしばらく待たされた。

そして午後8時、雑誌編集者のK氏を含めた私たち4人は、事務所側の居酒屋へとやってきた。私は、Y氏の事務所が大学から近いこともあり、この周辺の地理について一定の知識があると思っていたが、連れて行ってもらった店は、私は初めて知った。大通りから少し奥に入った場所にあった。学生の客はいないように見えた。

聞けばT氏とY氏は大学時代からの友人*2で、1970年生まれの同い年だそうだ。そして編集者のK氏は72〜3年生まれ(詳しくは失念)とのことで、つまり彼らは同年代であり、若手のライター(Y氏もフリーライター経験があるのだが、あとで詳述する)が会した席上に、学生である若造の私が1人紛れ込んでいた。正直、私はお三方の話を聞いているだけであった。

私が話に参加することができたのは、DEEP PURPLEとかRAINBOW、BLACK SABBATHなど音楽の話だけであった。Y氏は以前ドラムを演奏していたことがあるそうで、曰くコージー・パウエル*3は俺の神」とのこと。だから私も「ジャーマン・メタルが好きで、独文に行ってしまった」*4と自己紹介してしまった。

私がこの酒席にいる理由は、前述の通りY氏のお相伴に与るためである。しかしなんと編集者のK氏が、取材費の名目で会社に提出するための領収書をもらい、支払いをしてしまったのだった。私は期せずして大手出版社の金で酒を飲んでしまった。ああ有り難や●●社。でも色んな意味で御社に報いることはできなさそうです。

だが、このK氏が支払いをしたことにより、Y氏が「RYU-SUKE君、もう1軒行こう。だって俺、まだ君に奢ってないもの」と言い出した。「原稿を書かないといけないから」の由で、T氏とK氏とはここで別れることになった。

2軒目で、私は多くの話を聞いた。現在の非営利団体に就職する前に、彼は「大学に6年もいたから、マトモに就職できないだろうし、またサラリーマンにもなりたくなかった」との理由で編集プロダクション*5に就職し、そこを経てフリーライターとして活躍していたという。そして現在は、この団体の機関誌の編集と発行に携わっている。「今と昔では、俺の中では、やっていることに違いを感じてはいないよ」と彼は語る*6。最近の私は大学教員や、雑誌、新聞などで活躍するライターなど、文章を書いて生計を立てる人々と多く接する機会があったが、こういう文筆業の在り方もあるものだと考えさせられた。

「なんだかんだ言っても、できあがった自分の原稿を読み返すのが好きなんだよね。自分の文章が好きなの」という彼の言葉は、大いに首肯できる。そうでなければ、私も高校以来、新聞などの各種原稿を書き続けてはいないのだ。本稿とて同じである。私にもジャーナリストになりたいという知人がいるが、私はジャーナリストとは職業ではなく生き方だと思う。彼がどんな「ジャーナリスト」になりたいか私にはわからない。しかし、出版物に原稿を書いて、その原稿料で生計を立てている人が必ずしもジャーナリストだとは思えない。そうでなければ、読売新聞や産経新聞の戦争を翼賛する記者まで「ジャーナリスト」と認めなければならない。それでは本末顛倒だ。

私は「面白い人物」に出会うために(ある意味、ただそれだけのために)東京の大学へ進学したが、その目的は十分に果たされてきていると思う。今回の「バイト」は実によい経験であった。

さて、先に私は当日飲まず食わずで彼らと合流しなければならないと記した。そのためかなり空腹であったのだが、さすがに年長者に囲まれ、しかも招待されている身分で、若造が1人だけ食いに食いまくる真似は、いくら厚顔無恥の私でもできなかった。朝から何も食していないことをY氏に伝えたら、「どんどん食え、どんどん飲め」と言って頂いた。まあ、それでも本領を発揮することはできなかったのだが(笑)。

また、このY氏は、数年前に校長が「日の丸・君が代」の掲揚を生徒に強制して問題になった埼玉県立高校の出身であるという。しかも生徒会長をやっていたというから驚いた。そこで私は、問題になったこのときに生徒会長を務めていたAさんを知っているかと彼に尋ねた。というのも、このAさんは私の大学の先輩で、割と親しくして頂いているのだ。彼は「知ってるよ。俺はそのときフリーライターやってて暇だったから取材してたよ」と。世間は何と狭いものかと痛感した次第である。

終電も近づいてきた午後11時、2軒目の店も店じまいをするというので、私たちは店を出た。しかし私は、何かすべき話をし忘れていることに気付いていた。Y氏「あ、そうそう。原稿料のことなんだけど、ウチは翌々月末払いだから」。ということは4月末の支払いである。たかだかン万円*7くらい、とっ払いで渡してほしかった……。Y氏「でも君の原稿がよかったので、是非次も書いて下さい」。私「わ、わかりました……」。ともあれ、先方にはいたく気に入られてしまったのだが、やはり労働条件(つまり、原稿料)の改善は強く要求しなければならないだろう……(原稿料を上げてくれ!)。


▲私の原稿が掲載される機関誌のゲラ刷り

*1:2月22日付け日記に記したが、拙宅のPCが不調になり、メールチェックなどを大学でしなければならなかった。

*2:但し大学は異なる。T氏は私の大学の先輩。

*3:イギリス人ドラマー。既に故人。RAINBOW、BLACK SABBATH、MICHAEL SCHENKER GROUP、WHITESNAKEなど、参加したバンドを挙げればキリがない歴戦の覇者。彼のツーバス・ドラムがあれば、ベースがいらないほどだった。ドラマーでここまで賞賛される演奏家はそうはいない。音楽誌『BURRN!』05年4月号の人気投票で、ドラマー部門の第3位。

*4:厳密には異なるが、こう言い切ってしまっても語弊はない

*5:出版社の依頼を受けて書籍や雑誌の編集をする会社。但し筆者もあまり詳しくない。

*6:この非営利団体は、幅広く社会にコミットして問題提起してきている。

*7:興味本位で請け負った仕事だったが、2日間ほどかかったことを考えると、確かに安い。